改めて、中野セガンにもの申す

○粋生倶楽部増尾通所リハビリ。前回と同じく朝の準備時間にコーヒーをいただきながら、通所仲間と談笑。ただし、ぼくはこちらから語ることはしない。「世間話」に馴染んでこなかったからだ。今日もまた家族関係を尋ねられた。思わず、「お答えしなければ失礼になりますか?」とまずお応えした。現職を退いてまだ1年しか経っていないこと、現職の時には、可能な限りプライバシーには踏み込まないようにと、職能訓話をされていた生活が40年続いていたのでその癖はなかなか抜けないので、もし失礼であったらお許しを、と詫びを入れ、問いに沿うように努力した。もう止めて欲しいなあ。知られて困るのか?と言われれば、「知らなきゃ困るのか?」と反論するたちの人間なのです、ぼくは。
○自転車20分、足もみマッサージ10分、身体暖め40分、歩行訓練あれこれ・全身マッサージ・・どのくらいしたのかな?所長さんから足首稼働訓練をすると告げられて楽しみにしていたが、「時間が無くてごめんなさい」(所長さん)。
 しおれた花を飾ったままとか、車の運転に不注意があるとか、だんだん、小さなほころびが見え始めてきたぞ。
セガンのフランス初期論稿集の中野訳本『セガン 知能障害児の教育』はセガン没後100年にあたる1980年に出された。我が国でセガン研究が一番燃えさかった時期である。その後のセガン研究は、2004年には清水寛編著『セガン 知的障害教育・福祉の源流 研究と大学教育の実践』全4巻の大著が出版され、日本社会事業史学会から学会賞(文献資料賞)が授与されたことが、大きな動きであろうか。この編著とて収録された原稿で書き下ろしは清水寛論稿ぐらいなもので、あとはいろんなところに発表されたもの、そしてそのほとんどが1980年水準のままである。ただ、藤井力夫氏の、セガンの初期実践に関する研究は、1980年水準をはるかに超えたものであり、1980年セガン論がいかに誤謬に満ちているか、セガンを多少学んだ者であれば気づくはずだ。しかし、藤井論文が「新しいセガン研究」として脚光を浴びている様子はみじんもない。巷間は相変わらず「没後100周年記念セガン像」が語られる。そのもっともな例が津曲裕次氏だ。そして2012年のセガン生誕200周年国際シンポジウムに日本から参加する者はぼく以外誰一人と無い。クラムシーに問い合わせもなかったそうな。つまり、我が国では「セガンはすでに過去の人」なのだ、1980年のまま。
 ぼくはセガン生誕200年に向けて新しいセガン像を生みだす努力を重ねてきた。それが2010年の、そして遅れて2014年の著書に示されてはいる。しかし、隔靴掻痒の思いでいる。なぜかといえば、セガンの原著(著書の訳本)が古書でしか手に入らないこと、そしてその古書こそ、1980年セガン水準の源なのだ。セガンを2012年水準で伝えたい。その思いが、ぼくの今の作業となっている。
 ちなみに、1980年水準のセガンの見本のようなものの一部を次にはり付けた。出典は中野訳本の「訳者あとがき」だ。

○この虚偽に充ち充ちた「あとがき」が、ほぼそのストーリーでもって、我が国のセガン研究に継承されていったという事実が、ぼくをして、セガン原著の再訳本へと挑戦させる源となっている。
○白痴教育に関する方法論の中野訳文はどうなってるか。一つの事例。
 Deuxième exercice. ― Prendre un corps de nul usage susceptible de positions bien distinctes, et le faire poser sur un plan dans tous les sens. の訳はどうあるべきか。中野訳では次のようになっている。
「二番目の練習ー互いにはっきり区別できる位置に置くことができる、日用品ではないものを選び、それを平面上のあらゆる方向に並べさせる。」
 もし文意がそうであるとしても、原文のun corps(単数形)では中野訳義にあるように「あらゆる方向に並べさせる」という複数義にはなるはずはない。