セガン1843年翻訳作業

○久しぶりに、終日翻訳作業。入り組んだ文章構造をどう読みやすい日本文に転換するか。そういう悩み所の文章箇所だ。
セガン1843年論文翻訳 第3章 承前
第一の運動 ― いろいろなものを手に取らせる。たとえば皿。子どもには1枚の皿を与えておき、テーブルの上に私の用の皿を置く、言い聞かせるか指示するかして、彼に同じ動作をさせる。彼が私を真似たらすぐ、私は、私の皿を裏返しをし、彼が言葉を理解しなくても、言い聞かせるか指示するかして、彼の皿を裏返しさせる。私は私の皿を立てかけて、置き、再び、私の動作すべて、私がその対象物に対して為そうとしてするすべての位置取りのすべて、真似をするようにと言う。同じことを、コップ、帽子、ブラシなどといった多くの日用品で、行う。まったく疑うところなく、習慣、子どもの癖を十分に踏まえた臨機応変の行動パターンは、子どもが、あるところまで、こうした作業に明かりを灯すはずの知性の初期的な微光の補いをなさしめる。だが、とくに、同じ対象物に長くこだわって作業させるというようなことに、関わらせる必要は、まったくない。子どもがこの第一の運動を実行し始めるようになったらすぐに、第二の運動へと移行する必要がある。
 第二の運動 ― 傷つきやすく役に立たない身体に、まったく違った姿勢を取らせる。身体は感覚全体で平面に立たせる。
 材料にほとんど重きを置かず、私はより硬いものとして木を選んだ。しかし、形状はとても重視し、私が自身に定めた目的にもっとも適しているように思われたのは、建築に用いる煉瓦形状のそれだった。側面をくっつけ併せた縦横比1対2、縦高比1対2の正直角形を単純にも複雑にも。従って、多様な面の中に違いをよく感知しうるような基盤を作らせる。こうした状況のもとでこそ、子どもに、身体の支点やそのものに関わる多様な位置取りの観念を与えるのによりぴったりとしていると、私には思われた。
 第三の運動 ― チョークで、適当な平面に、大きな垂直線を引かせる。子どもが腕の動きをたどり、平行して線を引くのだ。上から下への垂直の動きの後、下から上、続いて左から右へ、右から左へと線を引くようにさせる。私は、白痴たちが手に取るすべてのものを、些細な見逃しもなく、観察に努めよう。最初は、左手にクレヨンが握られる。それで、右手に持ち替えさせてやっても、彼らは、右から左へと進みたがってしまう。
○目を酷使しすぎたか。十分に休養させましょう、「明日」のために。
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