これが「つらいのを耐えて」なのか?ではない。

○粋生倶楽部増尾通所。利用者のSさんがお休みであったことから、ぼくがコーヒーを挽き、淹れることになった。左手の力があまり出ないため、挽くミルを動かないようにするのに少し苦労した他は、スムーズに、コーヒーを給仕することができたと思う。「おだてりゃ豚も木に登る」でごんした。お褒めいただき、ありがとうございました。訓練開始前のコーヒータイムはステキだと、ひとりごとしたが、所長さん、これを提案として受け入れて下さるような雰囲気だったなぁ。スタッフのMさんもお母さまの体調が思わしくないとのことで、欠勤。
○いつもの暖っか姫の他は、新メニュー。ほとんどが、イテテイテテ、を伴った。全身マッサージ、足首マッサージによる機能回復訓練、などなど。どんどん身体の稼働域が広がっていくような気がしている。ありがとうございます。
○昨夜の内に和歌山で共に学んだ山下君からメールで、上京の機会があるから会えないか、と。すぐに適切な対応が取れなかったのが悔やまれる(スマホの扱いの問題)。現状についてお知らせをしておいた。
○今日のお昼。コケさんからいただいた今の時期の宝石・サクランボをトッピングに。汁は少し工夫。めんつゆを5倍ほどに薄め、昆布ダシのポン酢を落として作成。きわめて美味しゅうございました。

セガン1843年論文翻訳の手を休めて(リハビリの後遺症故)一考する
 若き日の松矢勝宏のセガン研究論文(1973年論文)を再読し、フランス・パリの医療機関の組織系への目線がきわめて弱いことを改めて確認した。「サルペトリエール院の不治永患者院」がセガンの白痴教育実践の舞台として確定されている。これはぼくが「1980年的研究成果」と称する一連のセガン研究の共通誤認。
 それ以外に、松矢研究に特徴的なのはセガンとサン=シモン主義との関係づけだ。松矢研究に(そしてその影響下の1980年的研究に)見られるサン=シモン主義からセガンが影響を受けたというのは、社会改革思想、とりわけ初期社会主義思想(「貧困からの解放」)であるという視点の提供だ。
 だが、それで終わっていいのか。
 「白痴教育」に直接関わる科学体系、セガンが1843年論文序文で言っている、「19世紀の啓蒙主義思想体系」(サン=シモン主義の出版文化で言えば、「新百科全書」)に対する言及が必要であり、それこそがセガンが白痴教育を開拓した理論と内容・方法の基盤となっているのだ。1980年的研究ではそれへの目線を持たずに、根拠が不明な、ルソー哲学(セガンが否定する18世紀の啓蒙主義思想)を持ち出している。
○ただ、「新百科全書」は今日現物を確かめ、検証の材とするには、すこぶる付きの困難。だから、ぼくができることと言えば、セガンの言辞の中から上記のことを浮かび上がらせ、後の研究の進捗に待つと提起するしかない。第3章に登場するレッシングの扱いに関わる。