セガンの1843年論文 訳出 承前

○山下君から7月28日午後会おうとの確認メール届く。楽しみ。
○こけさんから明日支援をいただくことについての確認。日本橋界隈、とくに三重テラスへ.これもまたとても楽しみなこと。お世話になります。
○Tout l'Orient immobile a cnservé cet usage.
 この文の訳をどうするか?中野訳では「東洋ではいまだに右から左へという用法が保持されている。」とある。これを深く読むと、セガンは西洋文化が人類の到達であり、東洋は遅れていると理解しているように読み取れる。1840年代はフランスは植民地主義にあった。サン=シモン主義者たちはエジプトに出かけて文明的開発をした(スエズ運河の開削など)。こういう時代背景を考えれば、なるほど、サン=シモン主義者のセガンは「東洋」をそのように捉えていたと考えても矛盾はない。だが、果たしてそうなのか。原文は文法構造的には単純だ。逐語訳でも意味理解はできるだろう。immmobileは「不動の」という語義。確かに「いまだに」でもおかしくない。が、ぼくは強い違和感を覚える。セガンは西洋文化・文明至上主義者なのか?そのことを読み手に意識させるべきなのか、どうなのか。少し引いてみる必要はないのか。「今もなお」ではどうなのだ。「オリエント全体で、今もなお、右から左へと綴っている。」の文意で理解したい。
セガン1843年論文 翻訳 第3章 承前
 私は今もなおこの不思議な事実の理由が分かっていない。古代の人々の書き方にそのよき例を見ることはできるのではあるが(1)。彼らの書き方もまたこの方向をたどっている。別の視点では、古字体やアンティック体の愛好者に、未開人や遅滞・白痴者にそれを見るという者もいる。白痴症は一つの障害である。それは正しい。しかし、レッシング の言うように、そして私が言うように、民族の子ども時代も個人のそれも、教育・訓練によって正されるような、一連の道徳的、知的及び身体的障害ではない、しかし、このことは一つの仮説にしか過ぎない。だから、私は、即座に、実証性に立ち返えろう。
(1)オリエントはまったく変わることなくこの書法を保ち続けてきている。
 これらの運動、とりわけ次の二つが、つまり、注意を引きつけたままにすることやら比較を促すことやらが、どれほどに困難であることか。誰もがそう思うであろうと私は確信する。だが私の直接の目的は、いろんな物を素材にした、ジェスチャーによる真似行動を子どもに発達させる局面に向けられている。とりわけ、子どもに感覚的な作業を産み出させることに向けられている。他人の意志や他人の身振りの影響の下で、線を引かせるということだ。後に、われわれはここに建てられた標柱に再び出会った時も、標柱は、さらになお、われわれを導いてくれるだろう。さらに、幾人かの子どもと一緒になって、普通のやり方では私によって強制的に分離させられていた私の方法の、部分部分を統合するのを思い出すだろうと、感じよう。
 模倣は筋肉の活動の極みである。実際、ある身振りを作りごとでしてみたり、ある態度を取ってみたり、怖れる様子や身体を投げ出す様子を想像したりすることは、むずかしい。これらの活動はすべてその範囲が限定された、新しく創り出される余地のない、機械的な法則によって起こる。しかし、物真似は他の要素を含んでいる。動きや人と物、物と物との関係を物真似させるために、神経器官やとくに感覚器官が働く状態になっていなければならない。
○ほんの少しで第3章が終わるというのに、目と思考能力がパンク状態。無念だが、後日のそれらの活発な活動のために、今日はこれで打ち止め。
○今日の夕食 混ぜ麺

○麺に混ぜる素材、要するにおかず。悔しいかな緑がない。

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