翻訳続行

○体調はあまりよろしくない。
○この数日、リアルな人間関係の夢が登場する。一昨日は新自主ゼミのメンバー、昨日は四志会メンバー。前者は丘に築かれた古代社会のパンテオン跡の東大医学部校舎内で様々な演劇集団の様子と、新ゼミメンバーの「笑顔ちゃん」の舞踏的演劇シーン。後者は「ミニ同窓会」開催についての待ち合わせと打ち合わせ。山手線ホームの雑踏の中の田中くんの硬い表情。
○朝から翻訳作業。今日は聴覚が主にテーマ。「聞く」と「聞き分ける」からセガンは入る。さすがだとうなった。
○さっそく中野訳文との齟齬が気になる。
 ・・・・parce qu’ils ne peuvent être classés dans un orchestre ?
(中野訳)なぜなら、オーケストラの演奏会では雑音は捨象されてしまうからである。
être classés・・捨象される?うーん・・・ それよりも、ilsが「雑音」とされていることは大間違いと言わなければならない。
○一体どんな様子だというのか。まるで大江山の鬼みたいだな。
(中野訳)彼はほほえみ顔を生きさせ、髪が逆立ち、指は引きつってバタバタ動き、手の甲と手の平は汗でぐっしょり濡れていた。
○晩歌の祈り、賛美歌などが登場するが、それはセガンの指導によるものではないだろうということを、表記するか否か、要検討。彼はカトリックではなくサン=シモン教徒故。公的機関の宗教行事はカトリックの宗教者(司祭、神父)が行っていたはずである。
○1843年論文翻訳 第4章第3節
第3節 聴覚
要旨 − この感覚が、われわれすべてに、長く深い眠りのなかに沈んでいたということを覚えている人は、誰かいるだろうか。7,8歳まで、われわれは聞こえていたが、聴いていなかった。われわれは自身に身近なところの一つ一つの型にはまった音声慣習によって、それと分かった。しかし、音階の音の漸次的推移や、とくに不規則な、測り得ない騒音について、われわれはどのような観念を持ったのだろうか。というのも、それらはオーケストラでは(渾然一体となっており)分類することはできないのだ。しかし、この後者つまり騒音はわれわれに届く音の大部分を構成している。それらの全部が盲人の感覚領域を働かせる。騒音によって盲人は、それが怖れるものなのか望ましいものなのかを知る。だが、むしろわれわれは、騒音を聞き分けていなかった。
 この器官に適用するのが見られる唯一の教育・訓練は音階認識にある。それなのに、非凡な才能を持つ子どもになるように訓練される子どもたちの間で、どれだけが実際に教えられているだろうか。
 白痴には、この感覚は独特な状態にある。たとえば、彼らのごくわずかが耳が遠いだけで、実験は、同時に、神の摂理の助けにより、私に、聾唖者は知性のある子どもの間よりも白痴の子どもの間の方が少ない、ということを考えさせてくれた。
 さらに、概ね、白痴はリズムが好きで、とてもうまく捉える。私はさらに言いたい、音楽的能力と呼ばれるこの能力は白痴にまぎれもなく固有のものである。私は、楽曲を聞き、非常に生き生きと楽しそうに表現しないような白痴を見たことがない。ただし、彼が麻痺に襲われていなければ、なのだが。私は、ほとんどあるいはまったく話さないにもかかわらず歌う大勢を見たことがある。ある年 、彼らは、毎晩課を太陽の下で歌う不治者施療院で過ごした。彼らはパイプオルガン、単旋律聖歌などの演奏に口を合わせて、祈りの姿勢を取った。その間、彼らは、連続する二語をはっきりと発音することはできなかったのだ。その上、私は、ビセートルでの私の指導の下で 、音楽が、何人もの、驚くべき成果を生みだしている。たとえば、S... -A...という子。この子は、楽器の音で激しい麻痺状態から抜け出す。アラン、ウジェーヌ、オーギュストは歌曲をきちんと揃えて歌い、揃えて休止する 。オーギュストは続く2構音をほとんどはっきりと発音することはできないのだが。V.....という背の高い、太った、ほとんど動かない18歳の子は、われわれの合奏で、大変楽しみを覚えた。彼は気に入り、顔の表情を生き生きとさせ、姿勢を正し、指を握りまた開きをした。彼の額と彼の手のひらは玉の汗でまみれていた。最後の調べの後では元の虚空の中に、完全に戻った。さらに、私が例に挙げたいのはA... H... だが、彼は、非常にむずかしい楽曲を一回聴くだけで繰り返した。だが、「パパ」という言葉をはっきりと発音することができない。いつもそうだ。
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