F先生への返礼信

○「お便りと、先生の実行委員長挨拶の掲載された日生連夏季集会案内、先生の推薦文が掲載された「みんなの力で狭山市をリフォーム!」タイトルの狭山市長選政策発表チラシ、『生活教育』6月号、7月号、それに狭山茶を頂戴いたしました。ありがとうございます。お送りした拙著には何の発信も添えておりませんでした。随分失礼な行為だったと反省しています。あれは先生のご退職に関わってお送りいただいた著書、論文などに何ら感想も返しもできない自分に恥を覚えたことから、言葉化することができなかった行為であります。申し訳ありませんでした。
 小生の近況をお伝えします。昨年の3月末に退院し、自宅療養に励んでおります。昨年1年間は要介護1、この4月からは要支援2という身体状況です。また、この4月から、週2日の通所デイサービスで、専ら機能(回復)訓練を受けております。
 左半身とくに左脚の運びが思うに任せず、転ぶ寸前の躓きがしばしば起こります。さらに疲れ感が非常に強いので、立ち居・歩行の姿勢は1時間持たせることが困難な状態です。また、両目とも白内障加齢黄斑変性に罹病しており、とくに後者によって、左目焦点部が中心部を、右目焦点部が周辺部をやられているため、きちんとものを見分けるのがやや困難な状況となっています。左右の焦点距離の違いのような感覚でものが見えると申し上げればいいかと思います。従って手書きで字を綴る行為はかなり精神的に苦痛を覚えますので、失礼かと思いながらも、こうやってタイプ打ち入力で、情報を綴り、発信している現実です。
 このような身体状況でありますので、せっかくご案内をいただきながらも、大東文化大学を会場とする日生連夏季集会を欠席いたしますこと、ご容赦下さいますよう。
 このような非社会的な身体状況になってしまいましたので、せめてもと、自分のやりたいことを、できる能力とペースで、進めてきております。と言っても持てる能力はきわめて限られたものであり、「研究」といっていいかどうかも分からないほどの稚拙な能力ですが、「セガン」の綴り直しのようなことに日々を費やしております。これまでお送りしていた通信『セガンの1843年』がそれであり、さほど遠くない時期に、セガン『白痴の衛生と教育』(1843年)の全文翻訳をし遂げる目標を持っております。すでに中野善達先生の訳書が1980年に出されておりますが、同書の解説文にかなり多くのかつ重大な誤謬がありますことに象徴されておりますように、訳書としても完全に改める必要があると思っている次第です。現実的に言えば、私のフランス語能力には余るところでありますので、あるフランス語能力が達者だと思われる方に、その方の業績の一端に加えて欲しいとお願いしたのですが、自分には難解だし、そもそも川口がやるべき仕事だ、と断られましたので、自分一人の脚で歩く決意を最終的に固めました。
 長々と、ご迷惑を省みず、綴ってまいりました。身体は不自由ですが頭は不自由さを覚えないことを幸いにして、今後も日々を暮らしていく心づもりであります。先生も杖を頼りとしておられるご様子。どうかご自愛の上、ご活躍下さいますよう、お願いいたします。
 なお、『1843年のセガン』別号、第8号、第9号をご笑覧いただきたく、同封いたしました。
 それでは失礼いたします。」
○ことはついでと、清水寛先生に、「1843年のセガン」別号送付と翻訳の近況。