終日翻訳

○台風接近で雨脚が強くなりつつある。閉め切った部屋になるので、扇風機を使おうか。
セガン1843年論文 「会話」能力の開発に関わる内容。「発話法」のペレール実践との絡みが出てくるところ。中野訳文ではそれが見えにくいし、明らかに誤訳というべき箇所が目に付く。中野訳「聾唖者にだって、話し方を教えられないことはない。私は、むしろその反対なことをよく知っている。だが、聞くことが出来ないのに、話すことができるのだろうか。」 原文にあるsans son corrélatifを完全にスルー。sonが何を指す代名詞なのかつかめなかったのだろう。直前に無口蓋等による唖の問題を論じている。セガンは、無口蓋の場合はどうやっても教育はできないが、sans son corrélatifならば・・・という論理を建てているのだ。非常に重要なポイント。教育可能・不可能な唖の問題に切り込んでいる。
○しかし、正直言って難しい。教養がないから、あれこれ類推することが困難。めげるな!
セガン1843年論文第4章第4節訳文 承前
方法 – 遅れたあるいは白痴の子どもが唖ないしはほぼ唖である場合、まず第一に、この無能力が、教育・訓練の手段が有効な活動ではないような、麻痺、口蓋の欠如、あるいは難聴といった原因によって生みだされていないかどうかを見極める必要がある。ところで、教育・訓練が可能な例を私は知っている 。つまり、聾唖者に話すことを教えることができなくはない。前記のこととは関係しない発話、聴覚がそれである。まず、これら三つの原因を切り離して、実際に、白痴からほぼ常時聞かれるような、異常な音声や語の構音を生みだす器官の状態を、注意深く観察する必要がある。その異常性の主要なことは、唇の筋肉活動の不足、下あごの常時収縮、舌の萎縮あるいは肥大、舌の不動、口蓋や口蓋帆の極端な高まり、である。ほぼあるいは完全な無音症のこれらの原因に加えて、私が既に示唆したように、自然と生ずる活動に対する白痴の嫌悪によることを挙げなければならない。つまり、話すというのは非常に自然なことなのだ!
第一の運動 − 子どもが、既に、真似の運動によって十分に正確な身振りがいつもできるようになっている場合、彼の注意を顔立ちに引き寄せる。そして顔の様々な部分を触らせ、最後に、彼の注意を発声器官に集中させる。さらに、人差し指を唇に直角にあてさせ、続いて水平に置かせ、それから、指を口の中に軽く入れさせる。続いて、指を二、三本口に入れさせる。口を大きく開けるためである。それで、子どものなにやら楽しげな叫び声を繰り返し聞くはずである。
 続いて、子どもの唇が垂れ下がっていたりポカンと開いているのが分かったら、子どもに、長い間、唇の間の調節物を締めさせる。もし唇が閉まらないようなら、徐々に、調節物の重さやかさを増やしていく。二つの唇の間があまりに離れているようならば、両者をくっつけた状態にするために、一方の唇と他方の唇とを、きちんと長い間、調節物にくっつけた状態になるまで、この調節物の大きさは同じままで、厚さを減らしていく。
 顎の痙攣や収縮を予防するために、同じ運動が繰り返される。しかし、その際、つねに進歩が伴われるように。だから、すこし固くなったパンのような、噛み応えのある食料品を噛ませるようにする。たんに機械的な方法は採り入れるべきではなく、単純な真似でこの動きのすべてが繰り返されなければならない。同様に、すべて、唇が母音と唇音節を発するために働くようになることが望まれる。
 舌と口蓋との間の釣り合いがうまく取れていなかったり、舌と口蓋とが関わりあわなかったりすることで無能である場合、関わり合わないのならば、後部内面壁ないしは筋肉の内面壁にしか収縮の余地はない。それで、その前方部が不動となる。硬口蓋が舌とともに多数の調音を形作るのに貢献するのならば、つまりは、口蓋が舌とぶつかることができないようならば、人為的に、遊びでそうし向ける必要がある。