全日翻訳

セガン翻訳の関わりで、聾唖教育に多少調査が必要になってきている。ド・ラベ、シカールで留まっていたぼくの聾唖教育史の教養ではとても太刀打ちできない箇所。当時の著名な聾唖教育者たちとセガンとは方法が異なるという。さて・・・・
○ド・ゲランドという聾唖教育者が、シカールの後を継いでいる?とりあえず、彼の生得的聾唖者の教育について、という1827年刊行の著書の目次だけでも探し当てよう。Degérando(Joseph-Marie de Gérando, 1772-1842)、De l'éducation des sourds-muets de naissance, Chez méquignon l’ainé père, Paris.という大著(全2巻)がある。Degérandoは同書の著者肩書きに「フランス学士院メンバー、王立聾唖学校管理者など」と記している。
○いよいよ具体的言語教育実践が記述される。ガンバロー。
モリエール『町人貴族』を用意しなくてはならないか?セガン、1842年第2著書記述と大きく相関している。
○フランス国立図書館のデータベースにイラスト版があったので、さっそくダウンロード。この件で愚痴。夕食時「モリエールの町人貴族を読んでいるのだけど、コメディーだから言葉遊びが多くて、理解が困難。」と言ったら、こういう時の皮肉顔、口を少しゆがめにやっとして「日本語で読んだら?」。能力に合わないこと、しなさんな、ということなのだろう。人を励ます、ということのできない人だなあと、こういう時はいつも思う。それに家にないのだから、もし日本語で読むとするなら、図書館か書店で入手しなければならない、それが今のぼくには大きな苦痛を伴う、ということに、思いがいたらないのだろうな。教条的原理原則でこれまで生きてきたんだから、そう簡単には、「新しい自分」が必要だと認めることもできまい。まあ、ぼくの愚痴でとどめ置きましょう。こうして、家庭内でも独立独歩(笑い)。
○それにしてもまたまた中野訳文にぶつかる…。いい加減、ぼく自身を疑っている状態になってしまう。
○1843年論文翻訳 第4章 承前
第2の運動―さて、直接、話し言葉の発達について費やそう
 話し言葉に関する現代理論にいくらかの著名なものがある。とりわけそれらの中でも、聾唖者に専念している人たちによって産み出されたものがあるが 、その関わりにおいて、ある考え方の流派に驚きを隠し得ないはずだ。その流派とはまさに私のことで、私は著名な聾唖教育関係者とはいくらか異なった結論を導いているのだが。たとえば、聾唖者への話し方の指導の中に、そのことを強く思うし、おそらくそのわけを、身振りよりも触覚にあるとするはずだ。その他、話し言葉を形成する為に、いわゆる音声と言葉の構音との間に生じる融合に配意する幾人もの教授(プロフェッスール)(1)は、よりたやすいものとして咽喉文字(?les lettres gutteurals. 喉音son gutteuralのことか?)を加えて指導することを、けっしてためらわない。しかし、聾唖者は、概して、触覚に優れているのだが、その聾唖者に第一の原理が正しいとの前提に立つとすれば(そしてそれは例外である)、しばしばあらゆる種類の感覚の錯誤を見せつけてくれる白痴にも正しいであろうか?第二の原理の場合には、どのような場合であっても我が生徒たちに適用できはしないのだが。というのも、生徒たちは、声と構音とが結合した発出からなる話し言葉を産み出す事象を意識しないからだ。他に、話し言葉の教育に関して、中には私が応用することができそうなのもあるし、私の自身のものとして作り直せそうなのもあるが、私の方法を述べる前に、少しく、ものの本質の手掛かりを追求することにする(2)。
(1)なかでもピロー氏。ナンシーの聾唖学校の著名な校長。
(2)私は実践をする中で私の原理を見いだしたにもかかわらず、かのプロムソウ師 は、研究によって古代語にそのことを確認する責を負ったようである(『ラテン語体系文法』、第1巻、1843年、パリ。)。
○「プロムソウ師」なる人物を知る手掛かりを求めてあれこれ検索したが、何とか「パリ、クインズ・ヴァン施療院の施設付き司祭を務めたことがある。」を見いだした。その程度。
○7月28日午後6時、柏駅改札口待ち合わせ 山下勝也氏と。
○7月29日午後1時過ぎになるか? 秋葉原、まぐろ料理店で、「三志会」。