さっそく雨で中止

○トドちゃんに、早朝お散歩を勧められて、今朝から実施、と、5時半に自然起床。夜中に目覚めることがなかったので、爽快な気分で起きた。
○さあ、お出かけだと、雨戸を開けたら、雨。あらぁ。お布団は上げちゃったし、血圧は測ったし、その他諸々を終えてしまっているので、今さら布団に潜り直すわけにも行かずと、室内で歩行訓練開始。景色が変わらないからすぐ退屈する。
○6時半まで室内で足踏み、廊下とリビングを歩行、無休憩、無杖。足踏みでは膝を高く上げる訓練、歩行は文字通り歩行訓練。歩行ではしばし左脚を引きずる感覚を持った。これでは転ぶぞ。膝を上げて歩く意識をきちんと持たないといけない。わずか30分程度なのに汗びっしょり。午後もやろう。
○昼過ぎ、昼食の材料購入と郵便局に所用で出かけた。雨上がりで暑かった。1時間半の外出。
○中野訳文について テクニカル・タームの問題になるのだろう。訳本では「教育」という語句がしばしば登場する。たとえば、「私が開発した新田では、私が教育に導入したすべての改革は…」。ここでいう「教育」の言語はenseignement、つまり教授法。
○1843年論文翻訳 第4章 承前
私の経験の結果では、この練習は、短母音で終わる単音節で始められなければならない、ということなのだ。一般に行われているのは母音から始められているのだが。この観点から見れば、このことは世間に受け入れられている意見とはまるで逆であるということは、十分に承知のうえである。だが、自らが切り開いた方法において教授法に採り入れた修正のすべては、私が追い求める直接目的のもとでの、厳格な、ありのままの観察の帰結である。たとえば、一般に、母音の発出は子音のそれよりたやすいと認められている。子どもには、moよりはo、biよりはi、などなどの方が自然だ。もしそうなら、まず母音、続けて一子音の発出が教授されて後、一母音を含む音節を口に出す学習をしなければならないはずだ。さらには既知のことから未知のことへ、容易なことからむずかしいことへと。さて、am、ob、inよりma、bo、niという方がよりたやすいとごく当たり前に感じているのに、誰もこのことに思いつかない。だが、そのわけも知らず、またわけを知ろうともせず、子音の発出が母音のそれより先行しなければならないことを、今もなお、知っていない。
 子音は発音法への挿入の為に無差別に用いられてはならないのだから、私はいくつかの点で反対する。ジュールダン氏が書いているように 話す人たちの為には無感覚な、しかし言葉のメカニズムを研究している人にとっては感知しうるような秩序が子音にはある。
 私は、読み方に関して、その理論を述べることにする。その方が今述べるよりも理解できるだろう。
○「三志会」用「レポート」作成。セガンの著作紹介・解題とセガン教具(写真)
○ページビュー(閲覧数)がいつの間にやら69000を超えている。信じられません。