翻訳作業 惰眠

○翻訳作業の手が動かず、マッサージ機に座って眠りこけた、午前と午後。直ちに「ボケ」が襲ってきそうな今日。
○せめて頭を活性化させようと、既訳分の点検作業。白痴症は白痴症状に、教育・訓練は教育になどと統一。
○脚注も判明分はつけた。子どもに関しては可能な限り。しかし、ビセートルで初めてであった子については名簿原簿がないため、特定は不可能。類推可能な子に限定するしかない。
○中野訳書にはセガンのフランス時代初期(1843年まで)の論文がほぼ収められている。そして、1843年論文は、それ以前のセガンの論文のほぼすべてがちりばめられている。まさしく、1843年論文は、セガン白痴教育実践の総決算の研究となっている。その意味で貴重な文献だ。
○同一機関での同一実践が二つの論文で登場する。1843年論文から見ればそこに記述されているものの「原型」がその前に発表された論文に見られるし、その前に発表された論文からみれば、1843年論文は実践の「進展」(到達)ということになる。こういう見方は「優しい見方」。現実はほぼ変化がないので、セガンは、コピペしていると見ることができる。
○だとすれば、中野訳書においても、多少の軸の変化はあるにしても、ほぼコピペであればよいのだが、実際はそうではない、意味が逆転していたり、内容が捉えられていなかったりしている。もう間違いない、ぼくが推断している通りだ。中野氏本人の手になる訳書ではない!

○不治者救済院総評議会管理委員会のメンバーがかなり判明した。レミュザ・元内務大臣、ランビュトー・セーヌ県知事、オルフィラ・パリ医学部長、ジェランド男爵、デュパン弁護士等。デュパンが加わっていることに驚く。ニエヴル県出身の実力者。ぼくが仮説した「セガンの上申活動」の裏が取れそうだ。