「歳いくつね?」&セガン翻訳

○「歳、いくつね?」
「71です。」
「私は80だよ」
 初めて顔を合わせると、たいてい相手の年齢を尋ね、自分の年齢をいう。その時、心持ち、しゃきっとする。続いて「お宅はどこが悪いね、ワシはこれこれだよ。」
 高齢者同士の初顔合わせのおきてなのかなあ。やっと会話にお付き合いするようになりました。
 道ですれ違っても、両隣はともかくとして向こう三軒となると見知らぬ者同士となる新興住宅街の住民が、「リハビリ」と称して、ゴミ出しの外歩き。ささやかな坂道をのったらゆったりと朝の空気を吸いながらあるいていると、まあ考えてもいなかったほどの人数の「杖つき散歩人」がいること。
 仲良くしなくっちゃね。それにしても、脚、痛いッス。
○「歳いくつね?」part 2
 可愛いという表現には少々似合わなくなっている少女軍団と鉢合わせた。オラ、こういうの苦手だがや、と脇に身体を逸らせたが、軍団かまわずこちらに目線を浴びせて、仲間に突かれた少女が声を掛けてきた。
「おじいさん、どこから来たの?」
 ありゃあ、また、もう先に公園で声掛けされたと同じだな。
「あっちから。」
 少女軍団、自分たちの思いがあたったとばかりに、急ににこやかになった。
「おじいさん、お名前は?どこに住んでるの?一緒にお家に行きましょうか。」
 オラの予想通り。軍団は、オラを徘徊老人もしくは家出老人とみなして下さった。
 しかし、この子ら、よくできてるなあ。夏休みだから、思いっきり開放的な姿をしているから詳細は分からないけれど、この地域を校区とするH中の生徒さんかな、それとも隣り校区のN中かな?さあ、この子らの義侠心、社会参加へのドキドキ試みにどう応えようか。
「私が迷子、違いますね迷爺(まいじじい)になるといけないからと、ほら、こんな可愛いポシェットを妻、ばあさんが持たせてくれてます。チョー恥ずかしい」(少女ら一斉に笑いました)
「この中に私のことを証明する書類が入っています。リハビリ散歩のたびにこれを持って出ますよ。あなた方のお声がけも嬉しいですね。あっちの方にある自宅から、この近辺をぐるりと回って、あっちの方の自宅に戻ります。」
「分かりました。熱中症対策で、何か飲み物をもっておられますか?ポシェットに入っていますか?」
「あ、いけない、忘れてきましたね。」
「ちょっとした油断が、おじいさんのようなお年の方には、危険なんですよ。」
 隣の女の子が、これ、あげる、と未開封のペットボトルを差し出してくれた。ポシェットには携帯電話(ガラホ)は入っているが、お財布携帯ではないので、女の子の申し出はとても嬉しかった。「いいの?あなたが困らない?」「いいです。友達のを飲ませて貰うか、どこかで買います。」「本当にいいのかなあ…でも、ありがたくいただきますね。」
 突然、雰囲気が変わる質問―
「おじいさん、お歳、おいくつですか」
「71歳です。」
「元気だしてね。」
「ありがとう。君たちH中?」
「…内緒デース (一斉に笑い) さようなら。」
「はい、さようなら。ありがとうございました。」
セガン1843年論文翻訳に関わって
*視覚のテーマ
*色調を論ずる内容で原文では「1000分の10」とある。単純に算数的感覚で「100分の1」と直していいのか?色の階調1000のうち10しか認知できない、という意味と、100分の1の認識というのとでは、やはり、能力論としては違うだろう。
*教養がないという意味で、よく分からないところ。しっかりと反芻する必要がある。とりあえずの訳出。
セガン1843年論文翻訳 第4章第5節開始
「第5節 視覚
要旨―私が能動的感覚だと呼んでいる視覚は、もっとも体系的な教育を必要とする能動的感覚である。聴覚は、視覚と第一位を競うことは可能だが、自発性や正確な活動にたいていが欠落している。つまり、耳は音を受け止めはするが、ほとんど音を追い求めることはしない。反対に、目は、対象を追い、探し(1)、いわば、引き寄せる。と言うのは、視線は、確実に、凝視を招くからである。しかしこの活動は、ある種、抗いがたくあるのだが、一般的には、情動の瞬時の結果にしか過ぎない。とはいえ、優れた人間においては、凝視は、ごく自然に、特別な影響をもたらしているのだが。視覚は、一般に、われわれを、生活の習慣的な活動の支援をしたり、習慣的な活動にし向けることに、有益である。非常にすばらしい器官装置の一つを道具として持つこの感覚の、広がりや正確さのすべてを疑わしいと思うことはないのだ。従って、われわれは、色に関しては、対比と調和によってもっとも多くの美を呈する色調の1000分の10が分からないのだ。われわれが気づかないように、才能に恵まれた多くの女性が、ほとんど、すなわち、色の同時対比の法則に気づかないように、われわれの目はわれわれに、少しも学習させていない。それで、われわれのその不思議な凝視に化学がそのことを指摘する必要があった(2)。
(1)この感覚は他の感覚より隔たった距離に達する。
(2)シェヴロウ『色の同時対比について』」