増量お散歩、またの名を瓢箪型お散歩

○「セガン昔ばなし」第4回です。
第4回 http://eseguin.web.fc2.com/pdf/mukasi04.pdf
○朝食前、7時半から9時過ぎまでお散歩。おそらく今日からということになろうが、児童公園と第2児童公園との両方をグルグル回ることにした。面図で言うと瓢箪型。歩数計では一周計750歩ほど。今までの1.5倍ほどになる。10周回るのはちょっときついかなあ。まあ、今日は何とかやれた。もちろん無杖。あまりにもきつく感じるようになったら、いくつもベンチがあるのだから、気にせず休みましょう。無理は禁物です。
○うどんの具がもうないことに気づいたことなどから、お昼前、東武スーパーへ買い出しに。朝の散歩の直後の外出はやはりきつい。シリアル食品、はんぺん、かまぼこ、お菓子。お菓子は食べすぎに気を付けましょう。
○今日はトータルで6キロは歩いただろう。健脚であっても、今どきの人には、苦痛だろうな。何とかしのぎました。
セガン、「折り返し」まであと4ページ。頑張ろうな。といっても、折り返しであって、終点ではないのだが…。
セガン1843年論文翻訳 第4章第10節
第10節 図面について
要旨―物体の物理的特性に関する観念(notion)で、もっとも有益だがもっとも身につけにくいのが、図面についてのそれである。大人と同じく子どもも生活の絶えざるところで利用している。図面の観念無くしては、動き回る支えもない、バランスもない、人にもものにも立ち居というものもない、人と人を取り囲むものとの間の関わりの可能性もない、動きや規則的な活動もない、描かれず、綴られず、手作業もない。しかし、大人であれ子どもであれ、一定の図面の、その中心の、その周辺の、それの主要な点や関係点の、正確な観念(notion)について、どれほどの人が知っているのだろうか。どれほどの人が指とか鉛筆を 幾何学的な点に添えることができるだろうか。どれほどの人が指なり鉛筆なりを別の点にきちんと正確に運ぶことができるだろうか。こうした能力は、大衆にはないが、知的なそして技術的な教育の成果、なかんずく経験の成果を有する人々には備わっている。だが、すべての人には有益でありかつ必要でさえあるのだ。
 白痴は図面についてのどんな観念(notion)、も持っていないと言う必要があろう。ある者は水平面をちゃんと歩けないし、ある者はグラスや瓶を傾けたまま置く。私が地面に九柱戯を白痴たちに並べさせたら、九柱戯が偶然まっすぐに並んだ時、彼らはみな、死んで見えると怖れの表情を見せた。そして普通のより際だった九柱戯にしようと苦労するのだった。
○九柱魏図版。「子どもの遊びの本」より。