ゴリラダンスの披露

○ 今日は定例の通所デイサービス。健康観察を終え、それぞれがそれぞれのリハビリに入る。
 ぼくはいつものごとくコーヒー淹れ。ニカラグア産の豆をミルで挽く。ここでは至極好評な豆だ。フルーティーな味というか、果肉から滲み出る酸味が独特の味と香りを醸し出してくれる。ぼくが淹れるコーヒーを楽しみにして通所している、と耳打ちしてくださる方々のお心遣いがとてもうれしい。「コミ障」気味のぼくも、通所者の中に溶け込み始めたこの頃だ。
 今日は、歩行訓練の流れで自分から日舞を少しご披露になった方がいた。とても自然の流れ、見物を強いる気配は何も感じられない。あくまでもリハビリの一環なのだが(そう、ぼくのコーヒー淹れのように)、職員も通所者も大きな拍手をお送りした。拍手が終わって、図に乗って、チンパンジーというほどかわいくはない、まさにゴリラがじたばたと、「どじょうすくい」のさわりなどを披露した。こんなこと、自分の中にあろうはずはないが、現実はじたばたと笑いを誘っていて、それが心地よいと思った。
 みんなで一緒に何かやる、というのはやはり避けたいけれど、今日のように、個人が個人の事情で個人を演じることができるリハビリ施設は、素敵だなあ、と思った次第。
○散策をとんとやらなくなった。「歩けばいいだろう」という機能主義がいつの間にか根付いてしまっている。この季節、ぼくの心の旅を豊かにしてくれる草花との出会いが楽しみのはずなのに。
○河川敷畑でさまざまな作物を育て収穫していた小学校時代、作業の終わるころには天空の月が煌々と白い光で畑地や草原を照らしてくれていた。ちょうど今頃は、「待つ宵草(月見草)」の黄色い花びらが開いていた。そんな時には、生意気にも、こんな歌を歌った。
「宵待草」 作詞 竹久夢二・作曲 多忠亮
  待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな
小学校5年の終わりまではボーイソプラノだったので、きれいな歌声が響いたはずである。(いつも学校を代表して独唱させられていた。)