体力回復と気力向上とは反比例…

○昨日も翻訳作業以外はほとんど眠っていた。もう、眠り病を超えてアルツハイマー症状ではないかと怖れるほど。気力をふりしぼらないと。
○右の肩胛骨・腋・胸の醜い赤い斑点模様の腫れが、その勢いを止め始めたのだろうか。昨夜は布団に入る前に竹の棒(杖相当)を使って「棒体操」を試みた。上腕筋肉を動かし胸肉を動かすことによってリンパの流れをよくしたいと思ったからだ(そうなるという確信などはない)。思い通り、布団に入っても痛み、痺れ、かゆみはほとんど感じず、夜中に一度目覚めただけで、ぐっすりと眠ることができた。ただし、今朝の起床後は、やや痛み、かゆみ、痺れを感じる。
○今朝も休み休みしてセガン翻訳。今回も中野訳文に噛み付かざるを得ない箇所がいくつか。ただ、ぼくが完全に正しいという自信がないところではあるので、少し考えていかねばならない。言い回しの理解が鮮明ではない。この箇所特有なのか、頭がいやがっているのか。
セガン1843年論文翻訳 第5章承前
この線画の合理的分析は、そこから書き方が誕生するのだが、そのすべての部分において非常に重要なものであった。これによって、私の手に委ねられる前にすでに無意識にいくつかの文字をつづっていたL…. が、6日で垂線と水平直線を引き、2週間で曲線と斜線を真似するようになったのである。また、私の生徒の大部分が、長い時間をかけてやっと、絵の上の私の手の動きを真似することができるようになったが、それでようやくのこと、示された方向に一本の線を引くことができるようになった。多くの模倣者は、ほとんどが愚鈍ではないのだが、私が彼らにして見せたとは全く反対の方向へ線を引いた。そして、全員が、非常にわかりやすい二本の線の交点を、上、下、中、というように混同した。私が彼らに地図、線及び形態によって与えた徹底的な認識は、以降、彼らがなぞらなければならない地図と様々な線との間に打ち立てるべき関係を捉えさせるのに向かわせている。しかし、こういった不規則性を要求してきた学習において、垂直、水平直線、斜線および曲線の間の進行は、彼らのだれもが、働きの鈍い知性や不器用で自信なさげな手で提示する比較と作成の困難さを考慮することによって、定されなければならない。
方法 ― 垂線は、眼と手を直接上げたり下げたりして引かれる線である。水平直線は、(この線がその名のような水平線のように)下げたり丸めたりする目でや手では不自然で、中央か出発して、ざっと見計らった距離が進むにつれて高くならないように、地図の側面端へと向かう。
セガン研究話(1)
 研究という道を歩んできて、小さな手掛かりがひょっとして大きな意味を持つかもしれないと思い、可能な限り歩き回り、関係する〔した〕であろう人に訊ねもする。知的障害教育の開拓者といわれるエドゥアール・セガンに関しては、彼のその偉大な業績のバックボーンにはひょっとして彼の成育史が絡んでいるかもしれないと思い、特に力を入れてきた。先行する研究には多く「セガン生い立ちの記」がつづられているので丹念に読んだが、すべてが「と言われる」「と思われる」で結ばれている。つまり実証する史資料の類の批判読みからは言及されていないのだ。だが、それらの研究に見る「生い立ちの記」はほとんど同一内容であるから、根拠とする共通資料があるのだが、その共通資料も、はるか後日のセガン回想記録であったり、セガン葬儀の時の送別の辞であったりしていて、とても当事資料とは呼べないものばかりだ。(続く)