性根を据えて進みましょう

セガン研究話(2)
 誰でも生誕の地を持つ。そしてそここそ「生い立ち」のコアとなるようなものが存在すると信じる。セガンはフランス共和国クラムシー市の生まれ。それとは違う地名オセールを明記したのはセガンの訃報記事、ニューヨーク・タイムズ紙のみだ。まさかそれをそのまま受け入れる人はおるまいと思ったのだが、津曲祐二氏の最近年の論考(2010年)の中で書かれているのを知り、たまげた。だって、氏は、氏によるセガン成育史論(1976年)ではすでにクラムシー市と書いているのだから。何を考えているんだかね。生誕の地がクラムシーとオセールとでは「コア」となるものが異なってこように。
 それはともかく、「クラムシー」が生誕の地であることは前記を除いて、すべての資料で共通している。そこで、セガン研究にとって、「クラムシー」をセガンの生育の「コア」となるものがある、という前提で理解する。生まれた、すなわち、育ったという等式を自明にするわけだ。さらには父母も家族史も環境もその成育史の「コア」理解に総動員される。
 そして「神話」が生まれる。松矢勝宏氏がクラムシーを訪問して帰国後ただちに綴ったエッセイに、「クラムシーは、まさに、知的障害教育の開拓者セガンを生み出すために存在する」と。優れた家庭環境、愛情いっぱいの父母、子どもの自然の発達に寄り添う親のかかわり自然環境の存在…。ルソーの『エミール』そのものものだ、と。『エミール』を「差別の書」として読む視点から言えば、この松矢氏の訪問記はどう読まれるべきだろうか、という疑問さえ挟めない。まさに「神話」である。
○健康管理面は運動と食事。その当たり前のところに本腰を入れましょう。今日はケアマネージャーさんの訪問を受け、あれこれの設問に答えているうちに、最近、本当に自己管理がおろそかになっているなあと思った。
*児童公園散歩は無杖で1周770歩、10分程度。やはり10周を目標にせねば。今日は「病み上がり」の体感が強く、3周30分で留めた。
*お昼は「島原手延べそうめん ふしっこ」を使って、めんつゆの希釈と辛子味噌をベースに、わかめ、カツオ味納豆、ゆで卵をトッピング。初挑戦〔ごったまぜだからなあ…〕