通所リハビリ

セガン研究話(4)
 困ったことに、セガンは、自伝に相当するものを書き残していない。まあ、自伝一般は「よい子の道徳」本みたいなものだから、ないほうがいいと言えばない方がいいのかもしれないけれど。多少セガン史をオリジナルとして綴りたいという研究者もいないわけではない。「セガン研究の40余年」の集約本・清水寛編著(2004年)がそれに相当する。ただし、清水はオリジナルな文献を下に書いたのではなく他者の手になる翻訳をあてにしているという点において、すでに研究的ではないと評されよう。
 清水によるセガン生育史は、ルソーの「エミール」流儀の保育・教育を受けて育ち、そのことに強い意味を持った、セガン自身の後年の教育論の中に「エミール」教育論を受け入れている、という趣旨の下に論理が組み立てられている。そもそもの前提が成立しうるか、という検証など何もなされていない。まともな社会科学者、歴史学者が読んだら、一笑に付してしまうであろう。もっともこれは清水だけにいい当たるのではなく、我が国のセガン研究者に見られる強い傾向であることは、(2)で綴っておいた。清水に強く問題性を感じるのは、その前提検証もどきものをセガンの言辞の中、清水が垣間見たクラムシー光景に求めている、ということだ。言ってみれば、「思い込み」ですべてを解釈して論を組み立てる、ということになる。まあここまで楽天的で「善意に満ちあふれた」研究者も少ないだろうとさえ思う。
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ
*例によってコーヒー淹れ。所長さんが「いいもの見せたげようか」とお持ちになったのがコーヒー・サイフォン。いやーそれで淹れたら最高ッスねえ、アルコールランプでコトコトと。魅力たっぷりではありましたが、いつもの通り、ガリガリ…フィルターコーヒーにお湯を入れてのドリップコーヒー。仏の鬼軍曹に何人分淹れるのかと尋ねたら10人分だと。それ無茶の無理っす。何とか工夫したけれど、舌の肥えた方々から「今日のは薄いわね。」 ほんま、どうしましょうかね。
*足揉み、自転車漕ぎ、爪先立ち、最後に暖か姫。その他の多くの時間を所長さん手ずからの脚の筋肉、筋などなどの施療に充てていただいた。脚がうまく作動しますように。
○清水寛先生への返信 はがきに手書きで。何とか判読していたけるだろう。
 前略 戦傷精神障碍者に関する中日新聞記事〔8月20日付)コピーをありがとうございました。先生の御研究成果が今時に活かされ嬉しく思いました。思えば私の母方の親戚に「ヤッサン」という復員兵がおり、「戦争で頭やられてしもうたでなあ」と、人目を避けさせられていたオジがいました。とても私をかわいがってくれた人でした。