雨の一日

セガン研究話(6)
 ところで、セガンはその著書にささやかながらも家族関係を登場させてはいる。一つは、何度も触れていることだが、『エミール』流儀でセガンの幼少年期を育てたという父親。母親もそうであった風に推測される書きぶりであったことは付け加えておきたい。
 二つは、1846年著書に登場する「父親」と「祖母」とである。(白痴の)子どもには華美でない専用の部屋が必要である、という主題のもとに、突如として、「私は祖母のところに部屋を持っていたが、それを父親に取り上げられた。」と登場する。セガンが自己経験をもって言いたいことはいったい何であるのか、その本意を理解するのに苦しいのだが、その意図も全く感じられない事実のみを綴ったのが清水寛である。清水はこの経験をクラムシーでのことだと断言する。なぜ「祖母のところ」が「クラムシー」なのか?そう問うても答えは返ってこなかった。思い込みでしかなかったことはこの態度で明らかである。
 疑念を解くカギは二つあった。誰でも、祖母は2人いる、ということが一つ。もう一つは父親がクーランジュというところの出身である、と、どのセガン史にも書かれている、ということだ。この祖母とは、父方か、母方か?父方であるとしても「クラムシー」と断定するよりも「クーランジュ」の可能性を考えた方がベターではないか?こうして、カギを用意することはできたが、「なぜ祖母のところに自室を?」という疑問が解けるわけではない。
 こうして、ぼくはセガン家のやや詳しい調査と生育史調査に踏み込むことになった。
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ いつものようにコーヒー淹れから始まる。脚モミ、自転車漕ぎ、つま先立ち等脚の訓練、足裏マッサージ(玉ころがし)、足首マッサージ、全身マッサージ、ストレッチ板、暖か姫、など。陽気に行動する自分に驚いている。「お姉さん」と声掛けをするご婦人と、ご婦人の要望で、ツーショット。なんとまあ。と言っても、それぞれが訓練姿なのだが。
セガン論文翻訳問題
*どうもシャキッとしない中野訳文。誤訳と言えば叱られようが、文の妙味が消されている。ある点から出発して水平線を描く。端に行くにつれて〔この端を中野は両端としているのは愛嬌〕カーブを描いてしまう。それは承知しておこうというセガンの言葉を「用心していなければならない」と中野はする。そのあとの訳の問題。中野は「自然がそれを命じるからだ」とする。comme la nature le commande.単語それぞれの意味は正しい、文法も正しい。しかし「自然が命じる」ものを「用心」したってどうしようもないではないか。そう考えると、「用心していなければならない」の訳、「自然が…」の訳が不調和となっているのだから、調和のある訳文に変更した方がいいだろう。ぼくは該当部分を「・・ことを覚悟しなければならない。自然とそうなってしまうのであり、・・」とする。
セガン1843年論文翻訳 第5章 承前
まっすぐな水平線を引くためにも、同じ指導方法、同じ指導困難、同じ指導手段。もしそれらがうまくいくようなことがあっても、子どもは中央から端に進んで水平線を曲げて描いてしまうことを覚悟しなければならない。自然とそうなってしまうのであり、私が説明しておいた理由によっている。線を引くための点と点の間隔が手を移動させるに十分でないならば、掲示板に引かれた平行線ないしは物差しによって、否応なく手が否応なく曲がらないようにする。