終日在宅

セガン研究話(7)
 セガンの家系調査となると、ほいと出かけてぶらぶら歩きまわる出たとこ勝負というこれまでのフィールドワークを頼りとするわけにはいかない。幸い、2009年度、一年間の国内外研修サヴァティカルの機会に恵まれた。6月7月をセガン研究のためのフィールドワークで過ごした。
 セガンの出生の地クラムシー(ニエヴル県)を拠点として、その隣町のクーランジュ(ヨンヌ県)にタクシーで通う。小さな小さな町であり、公共機関は市役所および併設されている図書室・保育室・小学校しかない。市役所窓口を尋ね、訪問の趣旨を話ししたら、それなら戸籍調査だろう、しかし本票はオセール市のヨンヌ県立古文書館に行かなければ見られない、という。ぼくの戸惑いの心に助け舟が出た。「本票はないが索引ならある」と。索引からヒントを得られるだろう、というわけだ。
 セガンのじっちゃまばっちゃまの少しの手がかりでもあればありがたい。18世紀フランス革命期を一つの時期的なめぼしとして、戸籍原簿索引帳をめくるが、共和歴記入であり、かつフランス文字筆記体!そんなものを解読する教養など持ち合わせていないのでぶつぶつつぶやいていたら、窓口マダムは、共和歴・西暦換算票を取り出し、筆記体を一緒に読んでくれた。マダムが小さく叫んだ。「あったわよ!」
 セガンの父方の祖父母は、セガンの父親が結婚する前には、亡くなっていたのだ。つまり、「祖母の家」は母方のこととなり、クーランジュのことでもない。さて、それは清水の言うクラムシーなのか?クーランジュでの調査は、その他数多くの宝物を掘り当てることができたが、本稿の筋ではないので、省略しよう。
○1セット5分、土踏まずの下にゴルフボールを置いてゴロゴロ回す。これを1日3セット。
 健常な右脚で行えば何のことはないけれど、麻痺している左脚は前後にも左右にも回転でも、ほとんど動かせない。ゴロゴロどころじゃない。悪戦苦闘の末諦め苦渋を舐めるありさま。
 でも、所長さんの「川口さん、やってみよっか!」というあの声を脳内に反芻し、もう一度挑戦!これから毎日だ。
○雨天で運動不足。何か体力を使うことはないかと、階段に脚をかけた。そうだ、脚〔モモ〕の上げ下げ訓練をしよう!ということで、左右いずれかの軸足を置いて2段上げ下げの初挑戦!できるぞ!左足が一段飛ばしで上の段に上がる。右足のその運動の軸足にも左脚が務まっている。もちろん、片手で手すりを支えて危険防止をしてはいるが、こんなに足が動くようになっているのだなあ。下りは怖くてできませんけれど。
セガン1843年論文翻訳 第5章 承前
 最後には、垂線に直角な水平線を引かせよう。そのことで、子どもは水平線というものを理解するし、図形を描くための、これら二つの基本概念の関係を、蓋然とわかるのだ。
 線の生成順序においては、斜線の学習が垂線と水平線の学習の直後に続けられなければならないと思われる。だが、そううまくはいかない。その傾き次第で垂線の、その方向次第で水平性の、つまり、斜線は直線であるから、その性質によって両者の性格を持っている。斜線は、準備なく感じ取られるためにはあまりにも複雑な観念を有しているのである。 その上、一本の線は、実在のないしは架空の他の線との相対においてのみ斜線となる。その性質により、斜線は他の線との位置の相違でしかない。というのは、斜線は、始点から出発し、2本の線(垂線と平行線)は別として、一本の斜線であるままに、幾何的なあらゆる方向にたどることができるからだ。だから、先の2本の線がどこに引こうがそれだけで垂線や水平線となり、また曲線もそうで、任意に与えられるあらゆる方向にそれ自身単独で曲線なのだが―しかしながらちょっと見では捉えにくいように思われるのだが―、斜線は、それらと同様な正確さでもって説明することができない。