少し不調だが

セガン研究話(8)
 父方の家族関係の詳細は、意外なことに、クラムシーメディアセンター蔵になる手書きの「ニヴェルネ地方セガン家家系図」(未完)で判明した。地方史研究家になる調査成果であった。幸いなことに、セガン家各人の「肩書き」と「没地」「生没年月」が、判明している分だけ記入されている。それによると「ニヴェルネ地方」(簡略にいえば、クラムシー・オセールを貫くヨンヌ川・ニヴェルネ運河の沿岸地方)にはセガン家が多数分岐して存在している。おそらく元は一家族であったのだろう。セガン史で書かれる「セガン家はこの地方で代々続く名家」と言ってもいいようだ。しかし「医師」の家系である、ということはこの家系図では断言することはできない。家系図に書き漏らしたという「反論」も出ようが、「この地方」の「医師名簿」が各年代にあり、「家系図」はこの名簿をも参考にして書かれているから、「反論」は成り立ちにくいと考えてよい。
 要は、エドゥアール・セガンは、この地方で代々医業を営む名家の出である、という通説はこれで否定されることになる。家系図によれば、セガンの父親は、クーランジュで薪材商人を営む近世地方ブルジョアジーの家で生まれ、何かわけがあって医療の道を目指し、医学博士となり、クラムシーで施療院・救済院(監獄)の医師を務めることになったのである。父親がクラムシー入り(医師として入植)した時には、その両親はすでに亡き人となっていた。
 それでは、セガンが少年期に自室を持っていて父親に取り上げられたという「祖母の家」とは、どこのことだろうか。当然母方の「祖母の家」のことである・・・・。
○ゴルフボールコロコロの運動が結構きついようだ。朝起きて第一歩を踏み出す時にその日の体調をおおよそ図ることができるが、今日は左脚の重いこと重いこと…。これも怠けずにやっていくことで、慣れるし、足の機能が回復されるのだろう。
○ふたたびシャックリ魔に襲われている。いったいどうしたというのだろう
○どうにも机に向かう気力が起こらず、眠ってばかり。そして今、少しでも翻訳に向かおうとしている。まあ、なんとけなげなことよ(笑)。中野訳文の悪口を言えば元気が出るか?ということでさっそく。曲線指導の場面。訳文に「生徒たちは」(複数)とあり、それを受けて「彼は」(単数)とある。これ、どう見てもおかしいっしょ。で、原文ではどうなっているかというと、l'élèveとil つまり「生徒」(単数)と「彼」(単数)。なんで中野はど素人的誤りをしたかと言えば、この曲線指導の対象者が集団であったと思い込み「生徒たち」としたのだろうということ。しかし、「生徒は」と単数であるということは、特定される誰か、ということだ。さて、その誰かとは誰なのだろう。翻訳とはそういうところに食い込んでこそ原文に近づくことができる。しかし、この記述場面ではそれをつかむことができない。
 ・・・と、シャックリも止まり眠気も少し収まりやる気もほんの少々出てまいりました!
○シャックリまたもや再開!どうなってんねん、おれの体。
セガン1843年論文翻訳 第5章 承前
 曲線に一定の方向性を与えるために、私は、曲線に、出発点と終着点とを作り、水平線を垂線から描いたように、曲線を直線に接するようにした。例えば、一本のまっすぐな垂線を用意し、その頂点から出発し、切れ目のない曲線を描き、曲線の円弧の部分の線を垂線の一番下まで引いてみせる。1点から他の1点へは直線がただ一本しか引くことはできないと思っている如く、生徒は垂線に曲線を重ね合わせようと試みたが、もちろんそれはむなしい試みである。