体調を見計らいながら

セガン研究話〔9〕
 セガンの母方がクーランジュでもなく、クラムシーでもなく、オセールだということが分かったのは、セガンの父親の結婚証明書の入手によってであった。クラムシー学芸協会のお世話になる。父親の伴侶の名前はマルグリット・ユザンヌ。この書類の解読もまた学芸協会の係員のお世話をいただくことになった。ホンマ、フランス語筆記体はなじめない。
 その一節から ― 故商人ジョセフ・ユザンヌと娘の結婚に同意したマリ・アーネス・ペロニエの娘マルグリット・ユザンヌ嬢、17歳、オセール在住・・・。つまり、セガンの父母の結婚時には、母方はオセールに居住しており、じっちゃまは故人、ばっちゃまはどうやらご健在。セガンが自室を持っていたという「祖母の家」とはオセールにあったのではないか!
○朝食後PCに向かっていたら、またもやしゃっくりが始まる。完全にやる気がそがれてしまう症状。
セガン翻訳の午前中は円の作成にかんして。中野訳文を読んでいるとすっかり自分がアホではないかと思わされてしまう。「水平線の両端を始点と終点にして」・・・は?平面上に描く線というのは始点と終点とはありますからねえ。「別々に得られた四つの半円は、重なり合って二つの円を形作る」・・・確かに「半円」が四つであれば、「円」は二つ作れますが、セガン、そんなこと書いています?…もう、いやだ!
セガンがイタールの指導を受け、しかしその指導に従った結果成果が出ない…まさに、「イタール」的なものを批判し「セガン」的なものを創出していく瞬間が綴られている場面。しっかり味わおう。
セガン1843年論文翻訳 第5章 承前
/私は曲線をその弧を狭めながら描いていった。それで彼は、私が彼に例として示した弧の凸状に気づき、描くようになった。しかしそうするためには、最初の曲線を垂線の右に描くことが大切である。というのも、白痴にとって、ある線と他の線との間を保つ距離がいつも見て取れるからである。また同様に、第一の曲線を水平線に接するようにする場合、下に描く曲線から始めなければならない。水平線に示される対照点を手が隠してしまわないためである。別々に得られた4本の曲線の総和は最終的には円となる。この形は、認識するのに非常に単純で、描くのに非常に難しい。いうまでもなく、白痴が円を描くにはこれのほか方法はない。
  斜線に対しても、私は同じやり方を用い、2本の平行線それぞれの反対の端を線でつなぐ。こうして、私が求めていた諸問題がはっきりと見いだされた。つまり、まっすぐな垂線、水平線と斜線、4本の曲線、その集まりが円を作る、これらは原則的に、可能な限りの線、可能な限りの書法とそれ以上のものを含むのである。
 これらの問題は、我々、つまりイタール氏と私とを、非常に長い間、捕まえてはなさなかった。線については既知であるとして、ある子どもに、初めには、もちろん、非常に単純であるということから、定形図を描かせることが問題となった。世間によく知られた考えに従って、イタール氏は、四角形から始めるようにと、私にアドヴァイスした。私はこのアドヴァイスに従って3ヶ月取り組んだが、私を納得させるものをつかみえなかった。どの指示も、わが生徒に2番目の平行線を1番目のそれの端まで引くことを決めさせるためには、うまくいかなかった。私は2つの線の交点を指でしっかり印をつけ、そこに、あらゆる色の鉛筆を使って塗り込んだパンを張り付けた。1日4時間、むなしく、この訓練で費やしたが、まったく無駄であったというのでもなかった。白痴にかかわる、そしておそらく美的観点からの解決の発見に向けて、線の生成というきわめて重要な問題を研究することができたからだ。

琉球おもちゃ瓜がポコポコ…