粋生倶楽部通所

セガン研究話(13)
 生まれてすぐ乳母の乳で育てられた。この乳母が通い乳母であったのか、同居乳母であったのか、委託乳母であったのか、それを定める史料は何もない。ただ、クラムシーよりヨンヌ川をさかのぼった地域にモルヴァンというところがある。モルヴァンは「乳母の里」と呼ばれた。ここの若い婦人は良質の母乳を産出するというので、都会地の貴族や富豪から乳母を求める声が大きかった。もちろんこの乳母は同居乳母である。クラムシーのセガン家が初めての子どもに良質の母乳を授けたいと願ったであろうことは想像に難くない。モルヴァンは「乳母の里」であると同時に、パリを温める暖房の源薪材の原料となる樫木の産地でもあったが、この件については、別に綴ることにしよう。
 3歳までクラムシーの生家で乳母によって授乳されて育った。フランス社会の習慣で言えば、セガンは、乳母と24時間、起居を共にしたはずである。実母は乳母がその役割をきちんと果たしているかどうかの管理監督の立場にあったと思われる。4歳から6歳まではオセールの祖母を里親として感性的な認識を中心として社会性の基礎を育てられた。生粋のフランス人である父親は里子は里親と24時間起居を共にすることを当然だと考えていたが、どうやら息子は独立した子ども部屋を与えられているらしい、当然、部屋を取り上げる。もしかしたら、7歳以降の家庭教師による養育の時かもしれないが。当時、家庭教師と子どもは、起居を24時間共にするのが当たり前の風習であったから…。
 セガンが1846年に書き記した子どもの養育過程の、当時のフランス社会の一般を当てはめると、上記のようになる。とてもとても「父母の愛に包まれて幸せな幼少期を過ごした」という成育史だったとは言えないのである。
○粋生倶楽部増尾 通所リハビリ。今朝は所長さん運転のお迎え。「運転しないと腕が鈍るから」と。車内で、明日から今月いっぱい、研修生2人を受け入れるとのお話。開設して半年で研修を受け入れるって、すごいことじゃございません?今日は昨夜の不眠がたたって、あまり元気よくリハビリをすることができませんでした。自転車20分、コーヒー淹れ、自分から歩行訓練〔爪先立ち含む〕、足首ケア、全身マッサージ、あったか姫、最後にストレッチ板。など。今日も音を上げてしまいました。いろんな方と会話ができるようになってきています。
○今日のクライアント同士の会話。「ここに来るまでにできていたはずのことがここに来たらできなくなっている、というか、しなくなっている、甘えているんですね。」というぼくの言葉に、3人のご婦人、同意の合図。ぼくは、「去年の今頃は、杖を突かないで、船橋に出たり、買い物をしたり、2時間ほどの散歩をしていたんですね、日記を見直してそう書いているのを見て、そうだったなあ、と思ったのです。」と言ったのだけれど。ただし、歩き方はひどかったようだ、とは言わなかった。
セガン翻訳は第6章に入る。またもや中野訳文と衝突。小さな訳語の問題。「文字」の成立過程を、セガンは、エジプト文明に説き起こしを求めている。