児童公園散歩

セガン研究話(14)
 乳幼児期少年期がフランス貴族ブルジョアジーに伝統的な乳母・里親・家庭教師そして寄宿学校(コレージュ)という養育・教育スタイルであったとして、具体的にどのような内容と方法とで育てられたのだろうか。先に、1846年著書に垣間見られると、綴っておいたが、もう少し丁寧に見てみよう。同書に「記憶について」という章がある。記憶・体罰主義教育を厳しく批判している内容だが、そこに、次のようにつづられている。なお、1843年論文に書かれている内容とほぼ同じである。
「子どもは、片言喋りの時期(=乳児期)を脱するとすぐに、彼にとっては、寓話、教理問答書、神話、文法書など、非常に抽象的でほとんどわけが分からない作品と付き合わされることになる。それも、記憶させられるのだ。幼児期ばかりではない、子ども時代にも、考えることができるようになる前に覚えることを無理強いさせられ…。」
 コレージュに通う前の養育・教育内容と方法とがこのようにつづられているのである。ルソーが嫌った典型的な教育スタイルであることを、強調しておきたい。
 ところで、セガンは、先に引用した文に脚注をつけている。それには、「この点、現代の学校は親〔たち〕のやり方をそのまま継承している」とある。セガンが通ったのはオセールのジャック・アミヨという男子コレージュだったが、まさにセガン家の養育方式に適う学校であったわけである。ジャック・アミヨ校には、セガンは、1825年に在籍していたことが判明している。セガン13歳であった。寄宿料を支払っているから、祖母の家から離れたと推測される。
○「セガン家の悲劇」と言われる事件がある。アメリカでのセガン没後のことなので、ぼくは、セガン史の中では一切触れていない。今日、フランス国立図書館の蔵書を調べていたところ、写真データベースコーナーがあり、セガンのポートレートが一枚収められていた。それに添付されていたセガンの略歴等を読んでいて、たまげた。「フランス生まれのアメリカ人医師であり教育者。イタールとエスキロルの弟子。1839年、遅れた子どものための最初の教育施設を設立。フランスの1848年の政治的な出来事の後、アメリカに渡った。1861年ニューヨーク大学で医学博士号を取得した。彼の教育方法はヨーロッパとアメリカで取り入れられた。」と、ここまでは、きわめて概略ながら、セガンらしさがまとめられている。で、その次の文章、「彼の妻は子どもたちを殺し、自殺した。1882年である。」セガンの息子の妻が二人の子どもを殺して自殺したのが本当のところ。天下の大図書館がこういうことをしでかしてしまうほど、セガンは「良く知られていない」ということなのだろうなあ。でも、「セガン家の悲劇」と称されるこの事件は大々的に新聞に報道されたことだから、書き手が調査能力を持たない、たんにアホなのだとは思うけど。
セガン1843年論文翻訳 第6章(完結)
第6章 書き方
要旨― 話しことばは思考のように流れ去る。書きことばはそれら二つ、話しことばと思考とをそっくりつなぎ止める。書き方と相互関係にあるもの、それは読み方である。書くこと、それは記号による観念の表現である。読むこと、それは記号に観念を見いだすことである。
 あらゆる記号は一つの取り決めである。しかし、すべての書記記号は互いに似ているわけではない。初期記号は絵であった。第2期は類推、第3期は抽象である。
 古代エジプト象形文字はこれらすべての表現であった。まさにそのままの表現であり、類推による表現であり、因果関係による表現であった(1)。
 アルファベットは、逆に、抽象記号の集まりであり、配列である。しかし、取り決められており、同意されている。その上、書きことばは、つまり、思考のこの有形化は、まず第一に、材料を容認した。三つの広がりがある。それらは彫刻された。つまり、人々は彫り、彩色した。やがて、絵に描いたのである。印刷で締めとなるが、今や、この分野に、ガルヴァーニ電気 が新しい奇跡として準備されている。
 実の表象から名の表象へ、そして個体の性質から線の性質へという、この二重の移行は、書記記号の歴史を作ったことは動かしがたい事実である。
 こうして、人間の精神は、抽象性に到達するためには、まさしく、具象の段階を通り抜けなければならなかった。つまり、我々と隔たったところにいる白痴との距離の一部を白痴に乗り越えさせようと願うことができるのは、人間の思考の歴史的変遷過程そのものを白痴にくぐらせることにあるのだ。さて、私の考えでは、この深い溝は、書き方とそれと相関的な読み方が前提としているすべての概念の体系的な指導によって、完全に埋めることができる。概念は、多かれ少なかれ、通常の子どもたちが知っているものだけに限るのだが。
 現代の読み書きが前提とする概念は以下の通り。
1.平面。2.色。3.線性の抽象物。4.大きさ。5.形態。
(1)だが、話しことばがリズムを持つように、これらの記号の表現力そのものが詩的である、ということに留まるものではない。結果を導く原因あるいは反対に(visa versá)、部分対全体、全体対部分そして絵全体、いわゆるレトリックは、花崗岩や班岩の記号言語の中に多くある。事情通にそれらが読み取られる、あるいは門外漢にはそれらがベールを被せられる意味とは関係なく、そこでの抽象画がそれ自身によって感覚的詩的形式をつねに帯びているに違いない。
方法― ある子どもに本来の意味でのデッサンから書き方に移行させるために、先生には、Dを、一本の垂線にその両先端によって支えられた円の部分、と呼ばしめるしかないような、非常に厳格で非常に実証的な方法で、これらの概念をすべて指導するやり方を扱った。ちなみに、Aは、頂点で結びあい、一本の水平線で遮断した二本の斜線。などなど。先生は、子どもがどのようにして書くことを覚えるかということを知る必要はない。子どもは描く、それゆえ書くのだ。
 対照と類似の法に従って文字を書かせなければならないという必要がある。Iと比べてO、Pと比べてB、Lに対してT、などなど。
○今朝の起床。補助具無しですっくと起き上がった!明日以降もこうあってほしいなあ。
○秋の長雨でしばらく途絶えていた、近くの広大な児童公園を独占散歩。5周、約4000歩、45分でした。
 サッカーボールを痛めた左脚で蹴ります。力が弱いからあまり転がらない、とほほ。なるべく早くボールに近づくようにと速足歩きを意識しますが、こちらも、とほほ。ボールは公園に置き去りにされて長い間放置されていたもの。
 そして、竹の棒はいざというときの杖代わりですが、体操グッズです。振り回したり、振り下ろしたり、背筋伸ばし体操に使ったり、いろいろ。近在の竹やぶで去年拾いました。