ズリズリズリ…ひっかき傷!

セガン研究話(19)
 セガンの実像を描いていると信頼に値する研究があるのか?少なくとも少年期を終え青年期をどう生きたのかをきちんと説明している人はいるのか?
 サン=シモン主義者だったと資料を整えて語っているのはアメリカのセガン研究者タブロット。1831年のことだ。また、前回紹介したテュエイエの記述では、1832年に法学部に学籍登録をし、1841年には弁護士の資格を有していたことのほかに、1837年パリ聾唖学校の補助教師であったとある。この1837年からセガンは白痴教育の道に入ることになる。
 ぼくがこれらを裏付ける史資料を求め始めたのは2005年以降だ。法学部在籍にかかわってはクラムシー学芸協会の協力を得て、学籍簿を閲覧することができた。それによればセガンは11年間学籍を置きながら修了試験を受けた節はない、つまり、セガンは法学士の学位を取得していないことになる。このことは何を意味しているか。弁護士資格を有してはいないということだ。妹のくだんの結婚証明書が実在するのなら、セガンは虚偽宣誓をしていた、ということになる。・・いろいろと歩き回ったが、結婚証明書に行き当たることはできないでいる。だが、セガンのライフ・ヒストリーを描くとしたら、法学部未修了であるべきだろうと思う。
 次に、補助教師についてだ。これはイタールの指導を受けながらアドリアンという少年の教育に当たったというところから出されたのだろうとしか思えない論である。史実を示す資料は全く見つからないということもあるが、テュエイエの推定断定であると、ぼくは判断している。
○粋生倶楽部通所リハビリ 研修生が一人。若い男性。新しく施設を作る準備のようだ。今日は体力測定。歩行タイムは13秒.前回より1秒縮まったそうだ。握力 右27、左24.9・右はどういうわけだか減っているが、左は強くなっている。足首マッサージ、全身マッサージ、ストレッチボード、自転車漕ぎ、ゴルフボールゴロゴロ。今日も明るく楽しくできました。
 朝ゴミ出しの際、左に身体が倒れ始め、寄りかかったブロックの囲いで支えられたのはいいが、かなり大きな擦り傷。緊急手当を自分ですませたが、通所施設でしっかり消毒をしていただいた。傷口は乾燥している現況。このままでいいと判断。それにしても、まだまだ左脚は非力だことを思い知った。
○細君、今日から水曜日まで、お出かけ。赤い旅行バッグを抱えていったから宿泊を伴う研究会だろうか。
○中野訳文、今日も、頭を悩ます。過剰なごまかしをしているとしか判断できない。頭くらくらになるほど見つめ考えたため、今日の訳はほとんど進まず。
セガン1843年論文翻訳 第7章 承前
 形状順では、相違と類似の法則をよりどころにして、私は、IとO、AとV、EとF、MとN、TとL、DとP、BとR、などの対立から指導を始めた。
 構音順では、母音は構音の相違によって識別される。そして、子音に対しては、私が話ことばに主想を向けた表現をのみ拠りどころとし、次の進め方の中で、もっぱら類似という手段で実施した。
唇音 B、P、M ; 唇歯音 F、V ; 歯音 C、C、H、G、J、S、Z ; 歯舌音 D、
N、T ; 舌音 L、R ; 喉音 G、R、Q、C ; 喉舌音 G、J。