雨交じりの曇り空。中山に出かけて靴を入手。

○朝からトドちゃんのご支援をいただいて外出。
 まず、下総中山の珈琲館で落ち合い、先週、注文してトドちゃんにあずかっていただいていた準介護靴を受け取り、さっそく靴を履き替え。今までのよりほんの少し重さを感じるが、快適な履き心地。
 ブルーマウンテン珈琲が入荷しているというので、さっそく淹れていただいた。何年振りの味わいだろう。この銘柄にかかわるいろんな話があるが、あまりいい話ではないと、ぼくなどは思ってしまう。それでもおいしい。さすが日本人向けに開発しただけはある、と感じだ。いい色といい香り。至福の一時。ぼくはコーヒーはあまりよろしくないと言われているのをトドちゃんはしっかり覚えてくださっていたが、このところ、インスタント薄め珈琲ならぬ通常珈琲をブラックでいただいているのを、ちょっぴり反省した。記念の写真添付。
 そのあと、日本橋に出て、昼食を中華の店で、三越にてちょっと素敵なお買い物、そして三重テラスでちょびっとお買い物など。楽しくうれしい半日を過ごした。

○終活のための研究的総括その3 (その本編)
 日常は脚が大学に向かわず都会の喧騒の中をふらつくという生活は相変わらず続く。あたりまえだが、それで心が満たされているわけではない。何かしら、若者らしく「夢」が心の奥にあるようなのだが、それがなんだかははっきりとはつかめない。だからなおさら、徘徊と遊興の世界に入り込む。今となっては、この長年続くぼくの青年期が「精神的親殺し(典型的な立身出世主義、優勝劣敗主義の世界観の親の抑圧からの離脱)」の行為であったと総括できるが、当時はわかろうはずはない。ただむかつき、やみくもに徘徊し、遊興する。
 こういう日常であっても、非日常として「教育学」的世界探求の欲求がわいてくる。先に触れた「へき地教育研究」その他地域教育史研究〔学習〕がその表れであった。が、この日は、背中をドーンと叩かれた衝撃を覚えた。古書店の片隅にただ一冊置かれていた「小説教育者第1巻」を拾い読みした時だ。著者は添田知道。安定した職をなげうって都市部の貧民の子どもたちのために学校を建設〔東京下谷浅草)した坂本龍之助の伝記である。コピーに「日本のペスタロッチ」とある。後に親しくしていただくことになるその古書店の親父さんに、「この本の続巻はあるのか?」と尋ねたが、うちにはない、ただ、玉川大学出版部には在庫がある、と教えてくれた。
 数日後、玉川大学出版部を訪問し、同書全4巻を入手した。その日から数日、下宿にこもりっきりで、生まれて初めて、涙を流しながら読書にいそしんだ。心の中の大きなざわめきを感じた。ふと、玉川大学出版部の書棚に、初学び中のドイツ語で書かれている一冊の書籍があったことを思い出した。確か、Pestalozziとあったぞ。さらに数日後、その書籍を求めに玉川大学出版部を訪問し、同書を入手した。生まれて初めての、いわゆる洋書である。
 当然読む力などない。学校の語学教育には不適応を起こしているので、独学で読み進めるしかない…。
 次第に夢が広がっていった。必ずスイス・チューリッヒに渡り、ペスタロッチの仕事を追いかけるのだ、と。とりあえず、卒業論文作成にペスタロッチ研究を向けていくことを、内心で決意した。
○至福の一時