終日在宅。翻訳ぼちぼち。目は昨日ほどではない。

○階段訓練 午前中100回×1
セガン1843年論文翻訳 第17章 承前
方法―甘さは白痴に対して、毅然とした態度より何倍も残酷である。しかし、こうした厳しさはそれぞれの人物に即し、それぞれの時に応じたやり方で変化しなければならない。精神力は疑いなく体力に依存するに違いないが、後者つまり体力は扱うのになんと難しいことか。体力について語られるとき、結果的に白痴を愚か者にしてしまうような暴力が立ちはだかっているように見えてしまう。精神を支配する体力というものは、粗野な本性が観念を作るであろうはずのものではない。体力は、身振り、凝視及び話すことによってうまく引き出された器官から生まれるものなのである。
 身振りは最も影響のある表現様式の一つである。体のすべての部位が体力作りに協力し合うが、中でも、胸がその主要な役割を演じる。それは、とくに、白痴の動きに必ず刺激を与え、動きを促進し、弱め、規則的にするものである。命令に伴う身振りは、上から下に、外から内にと行われることによって、不動の姿勢を保たせるようになる。下から上へ、内から外へのそれは、反対に、緊張をほぐさせるようになる。胸と手の動きは、一般的に、威圧的な命令では直線的に追随し、論理やほのめかしによる命令では緩やかに従う。身振りは知的な訓練に同様の影響を及ぼす。人差し指による素早い表現は、不動―これもまた一つの身振りであるのだが―(を誘い)、意思によるすべての命令は、思うままにかつタイミングよく用いられれば、うまくいく。
 凝視―抗いえなく訴えることができる動作主―は、十分な分別の上用いることが求められる。凝視は、知性よりも感情に向けられるので、感情にのみ影響を与えるはずである。ある時は優しく、甘く、穏やかに、ある時はじっと、深く、逃れようもなく、惹きつけたり、強制したり、微笑ませたり、震え上がらせたりする。
 話すことは、絶えず最も必要な権威の道具である。どいうのも、先生(maître)と小学生(écolier)との絶え間ない関係がそれによって形成されるからである。白痴の教育に身を委ねる者は、非常に穏やかな声から非常に荒々しい、また非常に響き渡る声を自在に通すことができる、しなやかな器官を持っていなければならない。私自身で、このような様々な声の出し方を、学習と長い間の実践によって、身につけられるのだという証しを得たのだが。それは構音の悪癖と同じではないと私は思う。構音の悪癖は、害を与えられてきた者がその発音の模範を示すことができるほどには、しっかりと直すことはけっしてできない。構音の悪癖は命令に必要な正確さを与えることはできないのだ。
 以上のみが、非常に絶対的な権威が身体の秩序から借りるべき手段である。
 だが、服従させることは考えられるほどには簡単なことではない。ある子どもは、いつも先生と一緒にいた15日間は従順であったが、彼の生活全体はたいてい、不従順であることを学習するものでしかなかった。服従には段階がある。実際、白痴の服従には、主な三つの状況がある。
1. 存在が命令を強めるような人への服従
2. 命令を為す人が突然姿を見せることができるような状況での、命令への服従
3. 命令を為す人がいない状況での命令への服従。その人とは、いずれ、強制的にでも服従させることができる人である。
 これら服従の三つのやり方は順々に得られるものであり、道徳性の様々な段階に対応している。.
○終活のための研究的総括その4 (本篇)
 夢が虚夢、口がホラであることに気づき、新しい自分なりの可能性、実現性を求め始めるのは、筑波大闘争の激化と大学院への進学と妻となる人との出会いにあり、決定的な道に足を踏み入れるようになるのは、結婚によって授かった新しい命の急性骨髄性白血病罹病、闘病、そして死、さらにはその過程に寄り添ってくださった実に多くの人々ー大学院の仲間、大学の仲間、居住地の人々など―の支援、民間教育運動団体(組織)での学びにあった。それらは確実に、ぼくの精神構造を支配し抑圧していた「我が母的なもの」からの離脱が進んでいる、と自覚させた。
 教育評論家として名高く、それよりも日本共産党の最高幹部の兄弟の父親として名高い上田庄三郎(の知らせざる教育実践、教育論の本質)を修士論文の研究素材とするように指導教授(国語教育の大御所・倉沢栄吉先生)から示唆されたけれど、何をどうしていいかわからない。大学院同期の日本教育史の秀逸H君が、史料調査のために上田家を訪問し、遺品を拝見することが必要だ、つぎに上田の出身地高知県土佐清水市に赴き軒並み歩いて教え子から聞き取りをすることが必要だ、と教えてくれた。前者については彼が同伴してくれ、史料記録の方法等を実践的に教えてくれた。後者はとにかく行くしかなかった。・・・こうして、ぼくの「歩くしか能のない教育学研究者」の実像が誕生した。まったく研究されてこなかった人物のライフ・ヒストリー追跡と教育実践・教育論の発掘、それの評価という研究が、ぼくの今日まで続く教育研究者としての土台を作ってくれているように思う。上田研究の成果は「上田庄三郎著作集」(全6巻、国土社)としてまとめられた。
 こうした初期の研究成果は単著『生活綴方研究』(白石書店、1980年)にまとめた。「石井賞」(全国大学国語教育学会)受賞作品と言えば聞こえがいいが、同学会がその年度に発表された学会員の著作を顕彰するという、いわば新人賞である。日本共産党機関紙『赤旗』の記者が「人」欄に記事にしてくださった。
 記事写真を添付しておきます。