通所リハビリ、ちょっと脱線談笑…

○粋生倶楽部増尾通所リハビリ
*今日は左脚が重く動きに不快感を覚えた。従って、体調はあまりよくない。どうしたのかな。
*あるご婦人との対話。すごく明るくてとても通所しやすい、とのお話。強く共感。珈琲がとてもお好きだそうで、毎回楽しんで味わっていただいているとのこと、ありがたい。来週はちょっと張り切ります、とお応えした。
*体力検査の日。右手握力が30.1㎏、左手握力が24.1㎏、歩行速度が12.1秒。前回より向上。
*80歳の方がぼくをはるかに上回る握力。それでしばらく握力にまつわる彼からの卑猥な語り掛けに応じた。通所して初めて、こうした日常は嫌悪感を覚える会話に明るく応じることができた。「コミ障」返上バカ丸出しのぼくでした。しかし、こうした会話は今後は慎むべきだ。
印旛沼の西に当たる本埜に白鳥飛来があったそうだ。もうそういう季節なんだなあ。今年の初め、FBFにご案内いただいて、トドちゃんの支援をいただきながら、白鳥観察をしたことがつい昨日のように思い出される。今年も観察ができればと、願う。
○終活のための研究的総括その5 (空白編)
 1976年4月に埼玉大学教育学部に職を得、教育学科に配属された。授業担当科目は主として教育学分野・教育方法学〔生活指導〕。後に、1980年頃から、この身の教育工学領域への配置換えという処遇問題が起きた時、カッコ内は意味を持たず、カッコ外だけでの判断と相成り、「生活指導研究者」の実質看板を下ろさざるを得なくなることとなる。が、1976年の着任当時、それまでの「国語教育学」フィールドからの看板架け替えとあって、専門的技量は全く白紙の状態であったから、天の神様の大いなるいたずらを受けたのだろう。
 埼玉大学着任から、「生活指導研究者」じゃない者が「生活指導」フィールドで生きていくことを、「宿命」だと思いなして、自らのほんの少しの体験を生かしたフィールドワーク、生活綴方研究から導き出される「生活指導」論構築、そして自らの青年期「問題」に重ね合わせた青年期の自立問題の思考、もちろん世にあまたある生活指導論の学習という日々を送った。心の片隅には、上田庄三郎研究で面白さを知った大正期という時代社会と教育との関係性の研究を探求したいという思いがあったが、目の前の求められる専門性に対応するだけで精いっぱい。だから、この期に刊行した著書、論文の類は、某氏をして言わしめた「まあ、書いたことは書いたな、数はあるわな」という嫌悪感のこもった言葉が本質を表しているだろう。数はそれなりにこなしているが、実質は研究と呼べる代物ではない。
 世評では名が知られ、著書サインセールなどもなされ、テレビ・ラジオの出演や番組作成への関与などもした。いろんな研究会の「助言者」や「研究協力者」を請われて応じもした。そうした中で、現実から学ぶ得る「生活指導」の課題は数多くあったが、感性レベルの認識に終わっていたと、今は総括できる。
 この「空白」期の招来を加速させたのが、先に触れた教育工学を利用した教育現象研究機関への配置換えであったし、第4子の無顆粒球症罹病、闘病そして死という家庭問題であったし、こういう状況にあっても一応自立しているとみなされている研究領域における責任ある立場の遂行の重さであった。
 こうした日常の中のある時、緊張の糸が音をたてて切れるのを覚えた。ある学会の席で、ぼくの第4子の死を知った某某氏が、「子どもさん亡くなったんだってね、これでお二人失くしてしまったんだね、よく生きていられるね、ぼくだったらだめだな。」と、<慰めの声>を掛けてきた時だ。「子どもをどんな形にせよ亡くした親は、自分は子どもを殺してしまったと、責めて苦しむ」という心理的状況を自らに被せていたぼくは、某某氏によってはっきりと子殺しを宣告されたと同じ心境に陥った。
 こういう苦しみから逃れるためにも、職場を和歌山大学に転じ、2年後には学習院大学に転じた。転じるばかりが能ではない。その間、これまでかかわってきたほとんどすべての研究組織から足を遠ざけた。その一方で、これまでの自分にない、いろいろと研究らしきことを手掛けてはみた。しかし、魂が乗り移らないままに、時が過ぎていく。
セガン1843年論文翻訳 第17章 完
 しかし、生徒に見られる服従と道徳性がどのような程度であれ、権威の限界が固定されない限り、命令する人と服従しなければならない人との間で必ず襲い来る葛藤による生徒の煩悶を免れさせようと思うなら、つまり、目的に向かって真っすぐ歩もうと思うなら、初めのうちは生徒を包まなければならない、言うなれば、生徒の全生活を結わえる権威という綱で。そして、タイミングよく、強めたり緩めたりする。衝動的なすべての者を一掃する必要がある。白痴が自分からけっしては望まないことを、白痴に望むならば、凝視させ、触れさせ、感じ取らせ、比べさせなければならない。以上から、白痴たちは全く受け身であることから始めなければならない、と言うだけで充分である。
○所長さん、23歳の私らしいです。