寒い曇り空からお昼頃は晴天の秋日和。終日セガン。

○昨日疑問を持ったオランジェリとナポレオンとの関係について。明け方の夢見に飛び起きて、あれこれと、文献調査。ナポレオン一世が強大な権力を掌中にすることになる非常に大切な歴史事象というか歴史的転換の問題。セガンがなぜこのことを文に残したのかまではわからないが、アホな中野セガン研究のゆがみを取っ払うことはできそうだ。以下のように注記。
「1794年7月のフランス革命期における山岳派独裁の反対派によるクーデター。これによってロベスピエールらがギロチン台の露と消え、いわゆる「恐怖政治」が終焉した。ナポレオン(Napoléon Bonaparte、1769 - 1821)は当時ロベスピエール派と人的につながりがあり、そのこと故に、逮捕・勾留され、軍籍をはく奪された。しかし、翌年、王党派の反乱軍の蜂起(ヴァンデミエールの反乱)に際して、その鎮圧の国民公会軍のために、ナポレオンのこれまでの軍功を高く評価した軍長官によって副官に取り上げられた。ナポレオンはこれに大きな軍功を立てたが、その作戦の一つに、オランジェリーの窓からの進攻があった。これを機にナポレオンは強大な権力を掌中にすることになる。
オランジュリーとはベルサイユ宮殿に付属する温室の代わりとなる施設を持ち、宮廷の祝典や行事のために使用された建築物の名称。現オランジェリー博物館〔美術館〕はナポレオン3世によって1852年に建築されたものであることを付記しておく。」
セガン1843年論文翻訳 第18章 承前 完
他のあらゆるものに大きな影響力を及ぼし、世界を支配するこの能力は、ほとんどの白痴には欠けているはずだし、実際に欠けている。彼らは間違いなく意思がない。食べさせる、飲ませる、わめかせるという本能的意思、ではないもの、人を欲望の様な(それはほとんどの者に有り余るほどあるのだが)他の規範で動かしたり不動にさせたりする本能的意思、ではないもの、とりわけ知的道徳的意思、ではないものが、観念と感情との二重の領域において、原因によって結果を生じさせようとする。これらに言う「ではないもの」こそが教育の生み出すものである。それは模倣によって、権威によって、抑圧そのものによって、獲得される。いわゆる知能という能力が思春期において慎重に調えられ培われるのを必要とするのに対して、意思は、道徳の力で、抵抗に対して強まりを増す。よい教育が原初的本能の拡大を対立させるからだ。子どもの記憶は破壊され得るし、感覚、知覚、判断力はかえられ得る。しかし、この子どもたちを彼らの食欲を満足させる方にどうしょうもないほど引きずり込んでしまう意思をそらせる一方で、例えば、子どもに心を向けさせようとする徳性、学業に役立つよう、強烈に再び襲い来ることを塞き止める、ということがわからないだろうか。
 意思は、その上、とくに個人的であるという点で(人は他人に代わって考えることはできないだろう)、また個人的な結果をしか産まないという点で、他の能力とは異なる。その一方で、意思はそのたくさんの副次的意思の領域に引きずり込むことができる個人的でかつ社会的能力である。しかし、他の何よりも優秀なこの能力、すなわち意思は、人類の身体的知的行動のすべての原動力である。
方法―私のまったく特殊な地位 が私に為さしめた諸経験を強調することを誰も不思議だと思わないだろう。私はある種の大胆さでまったく本能的動物的な意思の浄化に取り掛かる。
 意思は個別4方向の態度をとる。本能的、否定的、知的、道徳的なそれぞれである(1)。
 白痴や多くの子どもたちには、始めの二つは単独で現れる。白痴の子どもはその食欲を充たすものを望むが、知的な活動を為すことや善良なことを為すことは望まない。彼はあなた方が彼に求めていることはけっして望まない。まったく無気力のままでいる。
 前述のように、私は本能的否定的意志のあらゆる発現を白痴の側から防ぐ。私は彼らの習慣を断ち切ることで第一の意志を禁じる。第2の意志に関しては、不断のかつ多様な活動を促すことで発現を妨げる。
 ところで、ここでは、多くの観察が必要である。生徒にしっかりと課したあらゆる訓練を進めていると、彼は間もなく、意欲、つまり、その体質に、その資質により適切であるだろう訓練の意欲への好みを示すようになるだろう。それがし終わると、彼には、気晴らしのために意欲の発現を控えさせる必要がある。また、そっと用意しておいた休息が彼に呼び覚ませるような、命令の手助けなくてもそそのかしてしまうようなものを目の前に置いて、休息に身を委ねるよう駆り立てるのも控えるべきである。このように、私は白痴たちに、その大多数にのためには活動的な関心がより好ましいとしても、指物細工、デッサン、読書そのものの関心を持たせたのである。
(1)私は、食欲を満足させることに導く意思を本能的意思と呼ぶ。以下、否定的意思は個人を何もさせないようにする意志を否定的意思、思考の働きを維持するのが知的意思、社会との関係に個人を導く意思を道徳的意思とする。
○終活のための研究的総括その6 (う゛ぁがぼん漂流 中編)
 2000年4月1日、ぼくはフランス・パリで1年間の自主研修の生活を始めるため、シャルル・ド・ゴール空港に降り立った。空港にはお世話になるアパート(フランスでは、アパルトマンという家族居住の共同住宅)の大家さんご夫婦が出迎えてくださった。初の対面である・・・。(元)勤務大学の今の長期研修システムからは考えられないほどの自由性が、間違いなく、ぼくの心身の疲弊を救ってくれたのだろう。研究者としての自覚と実践を、ゆっくりゆっくりと、ぼくに再生してくれるリズムのある一年間を送ることができた。
 具体的で詳細な研究課題と方法とを持たぬまま、ぶらっと、「自由な国」フランスにやってきた、フランスのすべてについて、そうフランス語を含めて、ほとんど教養を持たない、一人の「う゛ぁがぼん」いや「バカボン」。絵画・音楽等にも興味を持たず、華美で豪華な建築物(内装含む)にも全く関心を抱かず、植民地時代の略奪品展示にも興味を示さず、有名どころの遊覧にも腰を挙げず、いったい何をしにお前はここに来たの?と大家さんにも聞かれ、パリの道でたまたますれ違った日本人留学生にも聞かれたが、さあ?と自らにもこういう応対をするような、一応、大学教授の名刺を持つ初老の男性。当時、齢は57歳であった。
 日課とすることは、晴れの日は、電子辞書を忍ばせたバッグを持ってアパートを出、気分次第で辻を曲がり、気が向いた公園でパン・オー・ショコラ(「ラ」の発音の訓練のために、パン屋さんで、「アン・パン・オー・ショコラ・シルブプレ!(チョコレート入りのパンを一個くださいな)」と言って購入したもの)を頬張りながら、道行く人、道で働く人、その公園を取り囲む建物、広告などを観察し、教育にかかわるらしきことがあればメモを取る。生活綴方史研究で「通行する者の研究」という秋田の教師滑川道夫指導の児童作品さながらであり、滑川がこの実践の方法論を考現学から得た、と書いていることの再現のようでもあった。
 そうして2時間ほどの時を過ごした後は街中散歩。意識して地図を持たずにアパートを出ているため、自分がいるところとアパートとの距離、方向感覚はぼくの脚と頭が記憶していることだけが頼りなのだが(半年ほどは交通機関を一切不使用)、各道の名前の簡単ないわれが書かれたプレートを読んで「歴史」学習をする。というのも、パリの道は大かたが人名であるからだ。その道に誰がそんな名前を付けたのか、そのいわれは何なのか、そういう疑問も当然わいてくるので、いろんな人に尋ねるが、ほとんどは知らないという返事。独力で調べるほどにはその方法論も教養も有していないので、ほとんどがそのままあきらめて過ごす。晩秋に、パリ・コミューン〔1871〕の聞き取りのために、「パリ・コミューンの友の会」事務所を訪ねた時、その問題はある程度、解答を見つけることができた。「その区の議会で、希望する道名候補の申請を受けて審議し、決定する。」ということであった。
 そして、帰路に就く。古書店とスーパーに寄り道し、めぼしいものを購入。アパートに帰ってすることは、購入素材のいろいろな調理と消化(食品と購入資料の扱いです)。
 間違いなく、この身は、漂流者vagabond。これで道行く人に金品を請求すれば、パリ名物「物乞い」となる。こうして、この身は、この道において、すっかりパリに溶け込んでいった。
○玄関前のアケビ、豊作です。実が開くのはもう少し。