今日と明日で伊豆・修善寺に旅をします。

○終活のための研究的総括その7 (「この人、だ〜れ?」編)
 ぼくの研究的世界観には全く存在していなかった知的障害教育史とつながりが始まったのが2003年早春。職場の同僚がご夫妻で「清水寛先生と行くルソー・セガン・21世紀平和への旅」に行くが、ぜひ一緒に行きましょう、とお誘いくださったことがきっかけだ。聞けばご夫妻が大学院生の頃、清水寛氏が開く「セガン・ゼミ」に潜って以来、とくに奥様が清水寛氏が開設する市民講座「エミール」の熱心な聴講生であり、さる病院児童病棟内の院内学級の現職教員である、とのこと。ご夫妻とはかつて私的なつながりも強くあったことがあって、ぼくも「旅」に参加することを決め、申し込みをした。それから1か月後のこと、清水寛氏から電話が入った。お声を拝聴するのは埼玉大学の同僚として教授会でのご発言を耳にして以来のことだから、じつに20年近く経っていた。「(川口は)どこでどうしていたやら」という切り出しの氏の電話は1時間近く続いた。趣旨は以下のようであった。
 定年退職の記念としてセガン研究をまとめた本の出版企画があるが、セガンのフランス時代については口伝はあるが、史料的に確認とれないことが多い、ついては史料調査の協力を得られないか。
 今本音を言えば、清水氏のご依頼を受けたのは、ただただフランス・パリ恋しであったからだ。この日から、ぼくの頭の真ん中に「セガン」というキーワードがドカンと座った。しかし、体は日本にあるわけで、頼りとするのはインターネットと日本の図書館ぐらいなもの。
 ヴィクトル・ユゴーセガンとは同じ文学同人同士だったらしい、その同人誌名を探せ、とか、セガンが初めて教えて知的障害教育に成功したアドレアンという子どもの出自、家族関係を明らかにする手がかりをつかめ、とか、セガンが白痴の子どもたちを預かり養育し教育をするために文学などを書いて資金を稼いだが、その文学作品を見つけ出してほしい、とか。
 こういうのって、絶対、座学で、しかも日本で、できるわけはない。しかし身は宮仕え、親からゆずり受けた金銀財宝等の処分可能財産は全くないから退職して恋しいパリに体を構えることなどできはしない。ご依頼を受ける際に、無理です、とは返答したけれど、寝ても覚めても気持ち悪いほど、「セガンさんって、何者?」を問い、ついついインターネットをフランス国立図書館等にもつないで、データ検索をする毎日が続いた。
 清水氏からのご依頼事は何も明らかにならない代わりに、氏らが1960年代から進めてこられたセガン研究には、いくつかの瑕疵があると確信した。それが大きなことなのか小さなことなのか、瑕疵を糺せば意味あるセガン像が形成されるのか、知的障害教育史に意味があるのか、いやもっと大きく、フランス近代教育史として成り立ちうるのか、ぼくのこれまでのフランスにかかわる研究と重なり合うのか、そういう問いを持ち始めたのが、清水寛氏の退職記念出版物・清水寛編著『セガン 知的障害教育・福祉の源流ー研究と大学教育の実践』(全4巻、日本図書センター)の編集実務に携わり、拙文・訳文を寄稿することを通してであった。
 この書物の編集最終段階で清水氏がある有力な研究者にぼくの業績等を紹介したところ、彼から、「この人、だ〜れ?」という問いがなされたそうな。ぼく自身が「セガン」に対して有した言葉とまったく一致したことが面白くてたまらない。