通所リハビリ あとは終日在宅

○粋生倶楽部増尾通所リハビリ。
 少し「脚」を意識した訓練を多くした。
セガン1843年論文翻訳は第20章に入る。冒頭から「人生は戦い」が登場。セガンはボーマルシェの言だという。ボーマルシェのどの作品かを調べようとしたが、結局、彼の全集のいわば前書きにヴォルテールの言葉を引用して述べられている、ということだけしか分からなかった。次のように注記することにした。
ヴォルテール("Voltaire" はペンネーム。本名はFrançois-Marie Arouet, 1694 – 1778)の作品『マホメット(Mahomet, ou le Fanatisme)』(1742年作)の半句に綴られた「我が人生は闘争である」(Ma Vie est un combat.)をボーマルシェが援用して、「その通りだが、人生は闘争と旋風を併せたようなものだ」と述べていることを、セガンが受けたのであろう。」
セガン1843年論文翻訳 第20章 完
第20章 敵対関係
 人生は戦いだ、とボーマルシェは言った 。それで、もし哀れな白痴たちが、社会で人を待ち受けている精神と肉体の戦いにおける、もっとも優れた相手になることを求めることができないとしても、つねに、彼らが劣っているという不幸な運命を小さくさせる準備をしておかなければならない。
 彼らが示す状態には中間というものがない。すなわち、白痴はからかい好きで、言うことを聞かず、残酷で、まさに扇動者そのもの。すなわち、白痴は気力が無く、意気地が無く、忍耐強く、抵抗することも身を守ることもできない。この二者の両極存在は誠に遺憾であり、ある子どもたちには、その攻撃性を恐れずに抑えればよいし、反対に、他の子どもたちには、彼らの力を発達させる、つまり自信と勇気とをかき立てる無邪気な争いを恐れずに挑発すればよい。言葉の争いも起こさせる必要がある。やり取りする言葉が乱暴な性格を帯び始めたり、暴力や不道徳を伴い始めない限り、止めさせる必要はほとんどない。
○終活のための研究的総括その7 (「肉体と精神を襲ってくる」編)
 日本育療学会において少し着目がなされたとはいっても、清水氏の高らかな宣言にもかかわらず、わが国のセガン研究は決してもろもろの人が結集するような性格のものではなかった。ぼくのところにじかに聞こえてくる声は「セガンはもう終わった」であったり「何を今さらセガンか?」であったりした。どのように先行研究の瑕疵を糺そうとしても、「それはもうどうでもいいこと」なのだ。セガンが歴史に残した「知的障害者は教育が可能である」事実と、「知的障害教育の内容と方法の本質は確かであり、科学的にも検証されうる」事実とは、揺らぐことのないセガン評なのだ。
 こういう時に、「歩くしか能のない教育研究者」が悪罵でもなく虚偽でもない、事実評価として、ぼくに覆いかぶさってくる。
 2006年頃から見舞われてきた心身の不調は、日本育療学会小規模研究会後、さらに強まってきた。動悸、息切れ、めまい、過呼吸…それこそ精神的抑圧からくるありとあらゆる身体不調に見舞われた。「いやになったらやめる」をモットーとして生きているのだから、サッサとセガン研究の階段を降りればいいものを、降りようにも階段を外されて屋根に取り残されているという精神状況。せめて、日本セガン研究会の事務局の荷を負わされている事実だけはぼくの身から外したいと決意し、清水寛氏に「日本セガン研究会の活動休止」を願い出た。ご同意をいただき、2012年のセガン生誕200周年の前年まで、事務局仕事から一切解放された。
 皮肉なことに、研究会の休止中こそが、ぼくのセガン研究の大きなピークを迎えることになる。要は、先行研究を意識せず、自身の問題意識と方法とで、セガンを読み解く、という立場に立ち切ることができるようになった、ということなのだろう。問題意識とは、19世紀を生きた一人の偉人の「自分探し」(=自立)を問うことであった。