久しぶりの「時間お散歩」

○少し遅い7時起床。資源ゴミ出し。脚はそう重くなさそうだ。その後「終活のための研究的総括」を綴った。
○トドちゃんから、「去年の奥日光の時の方がよく歩けてたよ、毎日2時間は超えるお散歩してたからね。やっぱりお散歩しなさい、毎日最低1時間!」とご注意とご示唆をいただき、決意した。今日はその第1日。去年の今頃のようないでたちはせず、身軽に杖だけ。「1時間コース」をとりあえず、旧光ヶ丘団地一周と決めた。千葉銀行方向回り。「東中新宿」バス停あたりでちょうど30分。きつい上り坂のある地形なので歩行訓練には最適。しかし、やはり昨年の今頃と比べると歩行力は衰えていることを実感、歩幅は広がっているけれど。近くの比較的大きな公園のベンチで5分体を休め、Uターンして自宅に戻った。明日は反対周りでこの公園で体を休め、Uターン帰宅をしよう。たった1500歩しか歩いていないけれど、体を慣らしていかないとね。いい汗をかきました。
○午後はセガン翻訳作業。もう中野訳文の誤訳のあれこれについては言わないことにしているが、第21章においては訳文を一段落欠如させている。この1843年論文(著書)で何カ所目だろうか。セガンの1839年論文においても大幅に段落を欠如させているし、1842年論文においてもそうだ。こうなると、中野善達という人の認知構造そのものを問わざるを得ない問題となる。ちょっとした不注意というわけにはいかない、常習化しているわけだから。それにしても、セガンさん、とんでもなく偉い人に、日本に初紹介されてしまっていたのだなあ。
セガンはidiotisme概念を用いている。これには首をかしげてしまうのだが、セガンの真意を理解するほどにはセガンを読み込んでいないので、今の所、次のような注記を添えるしかあるまい。
「イタールに次ぐセガンの初期実践の「指導者」であったとされるエスキロルは、「白痴idiot」はidiotisme(白痴病)ではなく、idiotie(白痴症)だとの論を提出し、「白痴」を「治す」対象ではなく「症状緩和」対象だとした。これが「白痴は教育が可能である」という画期的な博士論文〔1824年、ベローム〕を生み、実践(1838年〜、セガン)を生んだわけである。このような歴史過程を考えると、セガンがなにゆえにidiotisme概念を使用したのか、一考の余地があるところである。」
セガン1843年論文翻訳 第21章 完
第21章 所有について
 白痴の子ども同士の争いのもっともよくあり、活発な原因は、世の中と同じように、所有権である。こちらではお金をめぐって、あちらではパンの一切れ、あるいはボンボンをめぐって。あいにくだが、白痴たちは、使用権、用益権、所有権、そしてそれらの権利の取得や譲渡の各種手段に関するローマ法のけっこうな理論が理解できないだろう。そればかりか、同様事項に関する現代法の緻密で明確な理論などにおいては、さらに理解困難であろう。
 この点に関しては、彼らに指導し得ることは、次のとおりである。泉の水などのように、すべての者に、そしてつねに、共同のものがあるということ、彼らの衣類のように、私的なものがあるということ。共同のものと私的なものとは、彼らのおもちゃのように、場合によっている、おもちゃはみんなに与えられているものや、さし当たり一人だけが楽しんでいいものとがある、ということ。なお、ここでいうおもちゃとは、私が娯楽のために彼らに貸し与えるおもちゃのことである。
 しかし、すべてのものが通貨にその等価を得たように、白痴たちには通貨制度、使用制度の認識が与えられなければならない。そして、彼ら自身で、人々の間で、世の中で、社会での暮らしのように助けを借りて出来るやり取りを実践させなければならない。それで、子どもたちの間に、無頓着者、浪費家、泥棒、とりわけ欲張りがいることがわかるだろう。その時にこそ、これらの性向をすべて改めるのだ。
○終活のための研究的総括その8 (「セガンさん、本当のこと、言ってよ!」その1 編)
 セガン研究の多くはセガンの自己形成史を、セガンがフランスでの知的障害教育を断念してアメリカに渡って綴った著作の片々から、援用し、さらに解釈して、論じている。その代表的な事項は、セガンは両親が熱心なルソー主義者であり、『エミール』さながらの自然主義に基づく養育方針のもとで育てられた、そのことが後年の知的障害教育開発につながった、というものである。そういう論理を前提にして、『エミール』に綴られている子どもの「発達」と、セガンか書き綴った知的障害教育論に綴られている子どもの「発達」とを比較検討をし、「まさにセガンの発達論はルソーに強く影響を受けた自然主義発達論だ」との結論を出している研究者もいる。まるで「良い子の道徳」の見本をセガンに見るように思われた。到底「良い子」ではなかったぼくからすれば、胸糞悪い人間だ。
 これはこれで「論理」としては成り立つのだろうが、果たしてこれが、「人の自己成長・自己発達を説明しているのだろうか」と、ぼくは疑念を強く持った。ありていに言えば、近代以降とりわけ男子の育ちの過程で強く発現するようになったと言われる「反抗期」がセガンにはなかったのか、ということ。そう思わせるのも、セガンは、通史的な自分史を見せないのである。家族関係をほとんど綴らない。学歴も綴らない。社会関係もさわりの言葉だけは登場させるが、その実質は綴らない。
 改めて先行研究を丹念に読んでみると、歴史研究用語でいうところの「第一次史料」を使用しているものはほとんどない。セガンの言説を引用しているものも、それを批判読みはしていない。批判読みをするに必要な歴史的資料・史料を活用していない。そして、気づいた。
「なんだ、各研究者は、セガンを利用しているだけで、セガンそのものを研究してないんだ。」と。ようやく、セガン研究の入り口に立った思いがした。2008年秋のことである。