終活のための総括、最終局面に差し掛かる

○6時半起床。ビニールゴミ出し。足が痛く、重い。昨夜もしくしく痛み時折目が覚めた。疲れかなぁ。今日は散歩前に「終活のための研究的総括」執筆。その後8時45分から10時45分まで、麗澤大学方面周りでお散歩。4600歩。昨日のがおかしいと思う。酒井根古戦場跡を久しぶりに訪れた。何度か小休憩。帰路、麗澤校地内の売店メモリースティックを購入し、トイレを借用した。明日は怖がっていないで、南柏駅方向に行き、久しぶりにカスミ等でお買い物♪
セガン1843年論文翻訳 第22章 習慣
第22章 習慣
 習慣は第2の本性である。この格言は、とりわけ白痴たちに当てはまっており、習慣について、私の実践そのものを説明している。無気力、怠惰、絶対的無為という習慣は、心身の弱さそのものの大部分を白痴病 に導くのである。その習慣の本源にある病気を消失させることはできないが、私は断固として、病気がもたらしている結果を消失させる。そのためには、生半可な方法でなく、生半可な手段でなく、それどころか、忍耐強い活動、一続きの作業を、しょっちゅう改め、あらゆる形式のもとで、そして、とくに、中断することなく継続される、あるいはあることと別のこととを組みわせられる訓練に適切な区域部屋(が必要である) 。
 活動の忍耐強さは、私が処方した体操訓練の選択と総合の賜物である。
 作業、つまり、手仕事と知的活動の交互作業は、継続して為され、いずれの作業も欠くことがあってはならない。
 考えている区域部屋 のことが(話題として)まだ残っている。この問題についていくばくかしか割けないとして、この問題というのは精神病者の治療のためのことなのだが、学者であり非常に(亡くなったのが)惜しまれるエスキロル の協力による非常に正しい判断に基づく考察の対象は、大急ぎで私の観念の概略を書く時間を見つけることがほとんどできなかったことがらである 。 
 私の現状の物的手段の欠乏の中にあっても、白痴たちの感覚をノックし、白痴たちの知性を開き、白痴たちに活動的で幸せな生活を与えるのに適切なすべての身体的作因で、私の哀れな白痴たちを取り囲む必要がある。そういう配慮のあることが確信されよう。また、私の欠点をより優れた仕事に高めるために私に欠けているすべてを列挙することで、白痴の教育を優れたものに導くために役に立つことがらの全体が見つけられるだろう。
 つまるところ、あらゆる特別な手段以前に、あらゆる方法以前に、あらゆる教師あるいは医師以前に、ほどほどに適切な区域部屋が必要である。満足感と向上のより活発な作因はそういった区域部屋にこそある。精神病者の保護のための施設に併合されたもの、それは疑いなく、避けがたく長い期間にわたる困ったことなのだが、そうものとは明確に異なる区域部屋だ。それは付属区域部屋であったり副次区域部屋であったりするべきではない。個別の存在物でなければならない。さらに、入ることが認められる子どもの数についてはどれだけであろうとも、間取りが、集合と類別とに等しく適している必要がある。
 また、共同寝室は監督にとって普通であらねばならない。すなわち、一目で見て取ることができることだ。その他もろもろ、ぼけ老人 用、マスターベーションに身を委ねる者用、癲癇者用、狂躁病者用、それぞれ異なる必要がある、など。
 教育と体操のための室(ホール)は一方を他方と、とても容易に分かち合え、共同暖房があり、等しく暖房をきかせなければならない。ただし、体操用の室は、訓練が非常に激しい場合には次第に気温を低く下げていく必要がある。
 一人で食事する子ども用の共同食堂、そうし始めた子ども用の共同食堂のほかに、自分の手で、スプーン、コップ、フォークなどを使って食事を摂るのが難しい子に指導をする特別な食堂が必要である。毎食はこういった子どもに取っては一つの学習となるはずであるし、最も好ましい先生は、食事をしたいという欲求に次いで、より進んだ他の白痴の子どもであろう。
○終活のための研究的総括その8 (「セガンさん、本当のこと、言ってよ!」その2 編)
 もう「セガン神話」とでも形容するしかないような、フランス時代のセガン像がなぜ語られ続けてきたのか、その源はどこにあるのか。ある偉大なセガン研究者が講演等でよく口にしたのは「白痴は人間ではないとされそのような扱いを受けていた時代に、セガンは、白痴も人間だ、教育を受ける権利を有している、と言っているのですよ。」ということばである。確かにセガンは、「万人の教育を受ける権利」を主張する社会運動を進める一員であった〔サン・シモン主義者、秘密結社「四季協会」メンバー〕。なるほどそうか。
 だが待てよ、ルソー『エミール』は自然主義教育の源とされるが、その教育対象は、今日の目からすると「子どもすべて」ではない、「人間すべて」ではない、健康な男児のみであって、病弱者や障害者や女性や老人は、ルソーの言う「人間」の埒外に置かれていたではないか。
 フランス革命は「人間の権利」を高らかに主張しているとされるけれど、事実としては、女性に市民権を与えず、あまつさえ、男性と同等の政治活動をするものの首をギロチンではねているではないか。それでも、ぼくたちは、フランス革命を「人間と市民の権利」の樹立であったとしているが、本当のところは、「男性と男性市民の権利宣言」(オランプ・ド・グージュ)であったし、障害者などの社会的弱者は「救済院」という囲い込み施設の塀の中に閉じ込め、「生かす」ことはしたが「活かす」ことはしていないではないか。
 そういう19世紀近代初期のフランス社会の中で生まれ育ち、生きたセガンが、一足飛びに「現代」に分け入るような哲学を、本当に持っていたのだろうか。こういう目で、セガンの著作を丹念に読んでいると、次の文言(要旨)が目に強烈に焼き付いた。
「盲者は点字聴覚障害者は発話法を得たことによって、人間になったのである」(セガン『草稿知的障害教育論』1843年)
 「人間だから権利としての教育をした」のではなく、「教育の成果によって人間になりうるかどうか」という問いのもとで、知的障害教育を進めたのだ!そして、こういう問いは、精神医学者の間で問われ、セガンより10余年早く、「白痴は教育によって発達する」という命題を出したベロームという精神科医がいた、という事実があるのだ。