昨日と同じだが…

○7時起床。しかし昨夜はしばしば目が覚めた。時に5時の時はこのまま起きようかと思ったほど。とにかく体を横たえていないと疲れが取れないと思い、眠った。不思議な夢いくつか。中でも、エレベーターの中でタバコをふかしている夢。2006年にタバコをやめてから全く吸っていないし、もう中毒症状はなくなっているはずなのだけれど、いったい何なんだ。
○「お散歩」 9時20分出発10時50分帰着。今日のコースは出るときには鮮明でなく、とりあえず、南柏方向とは逆の、新柏方向に歩みだした。足が異常に重い。やはり疲れがたまっているのだろう。慣れていくしかない。車通りに出、光が丘方面に向かった。急な上り坂が続きます。これもトレーニング。団地に入る一つ手前の道を右折し、市特定緑地指定の畑をしばし眺め、その後麗澤大学の学生ホールへ。誰もいないことを幸いとして椅子に腰かけ、大学人であった頃をしのんだ。その後帰路へ。うららかないい陽気でした。
○8時から「終活のための研究的総括」執筆。
○午後から翻訳の仕上げ作業。注解を脚注から文末注解に形式変更。修正作業。夜、少し「おわりに」執筆。目がとても疲れます。ぼちぼちと行きましょう。本文注解終了。出版社に送付。
○終活のための研究的総括 その終章 2 落涙1
 拙著への書評は―書評にも感想にもならないけれどとにかく公開されているというのを除けばーおおむね好意的ではあった。とくに、第2章の、セガンがサン=シモン主義者として具体的な社会活動をしていたという史実の叙述は、セガンの社会運動家・活動家としての実像の提示であり、同時に白痴たちをその主権者とみなしていることも、「白痴にも人権があるとみなしたから白痴教育を手掛け、そして成功した」という論を張っている清水寛氏をして、「本書の白眉である」と言わしめている(『しんぶん赤旗』2010年5月9日号書評欄「前半生を実証的に究明した労作」)
 この書評を読んで力が抜けた。セガン研究者へのメッセージは何も届いていないのだ。「予定調和」的に説明するセガンの白痴教育の「開拓」という目線を微塵も変えようとする読み方をしていない。
 人間って、生まれた環境で、まるで遺伝子に組み込まれているような生き方をするのですか?何のために苦しみ、何のためにあがき、何のために道を逸れ、そして何のために生きるエネルギーを構築しているのですか?
 恵まれた環境で矛盾なく育ち、親から受け継いだ素養で知性を培い、それが故、偉大な人に見いだされ、若くして誰もすることのなかった白痴学校を大病院の中に創設し、厳しい男女別世界が構築されているにもかかわらず女性収容の大施設の中で男子青少年の教育に携わるよう国家から要請された…。
 これがセガン研究の常識的到達として語り継がれてきたわけだ。嘘八百
 それは違うんではないですか、セガンの自己内外の諸矛盾を切り開こうとする「主体性」という点で、セガンを捉えなおしてみると、養育環境観から、学習歴観から、言葉だけの「サン=シモン主義者として白痴の待遇改善」観から、何から何まで洗いなおさなければならないのではないですか?
 ぼくがこだわり続けてきた「青年期をどう生きるか」という問いは、まったく無視されたと感じた。大いに好意的な書評であることが分かっているだけに、ぼく自身が直接的に投げかけた、世界のセガン研究者に対するメッセージがほんの少しも届いていないこととの落差に、文章でもってそれをきちんと綴れなかったのだという、自分の力量の無さも痛感した。