今日は沖縄物産展♪

○6時50分起床。昨夜も深夜2時半に目覚め、しばし眠れず。たぶんだが、日本生活教育連盟の大会に参加している夢を見た。議論かみ合わずいらだっている。寝ても苛立ち、抱え込みなさんな。もろもろをすませ、8時から「終活のための研究的総括」執筆。
○9時半、船橋東武へ。沖縄物産展のため。今日のリハビリ。今日はトドちゃんのアシストなし。お昼だけ、中山でご一緒しました。帰宅3時半。脚の疲れが強い。しかし、ここが我慢のしどころ。頑張りましょう。
○終活のための研究的総括 その終章 2 落涙2
 セガンの正式の、つまり戸籍上の名前はオネジム=エドゥアール・セガン。しかし、1830年(18歳)以降、彼がこのフルネームを自らの意思で使用している跡はない。ファーストネームの前綴りを欠落させてエドゥアール・セガンが社会に知られている。欠落させているオネジムというのは父親のファーストネームの後綴りだ。
 なぜセガンはそういう意思を持ち行使し続けたのか。それが、ぼくがセガンに自らの意思を持って急接近していった「因子」である。2005年7月の清水寛氏の出版と学会賞受賞を祝う会の準備会でその旨を語っている(ペーパーに残している)。そして、それを探究し続け、一つの回答を得たのが2010年3月刊行の拙著(「知的障害教育の開拓者セガンー孤立から社会化への探究」)であった。さて・・・、
 拙著が刊行なって1年半後ほどに、『フランス教育学会紀要』第23号が手許に届いた。開いてみると、思いもよらず拙著にたいする研究批評が掲載されていた。筆者は前北海道教育大学教授・藤井力夫氏。セガンの初期実践をターゲットにして非常に緻密な研究をしておられ、ぼくは世界最高峰のセガン研究者だと理解していた。が、ほとんど面識も交流もないお方だ。
 ぼくの研究の手続きをきちんと捉え(「第一級資料の発掘調査により」)、研究の到達を過分におほめくださっている(「…これらの研究、とくにフランス時代のそれは、大きく飛躍された。関係する者の一人として恥じ入るばかりである。」)。これは表現こそ違え、幾多の人たちから寄せられた評価と同質である。
 が、次の段落に綴られていたことに、思いがけもせず、ぼくの目から涙がどっと流れ落ちた。
 「生活綴方研究で知られる著者が、なぜこうした研究に接近しえたのか。・・・日本の生活綴方教師の実践に深くこころを寄せてきたことだからこそ実現できたと考える。・・・セガンという一青年教師の歩み、その必然性を明確にさせないではおけない、日本の綴り方教育・一研究者の凄さを感じるのである。」
 ありがとうございます。セガン研究者にやっとぼくのセガン研究の意図を理解し、表現いただいたのだ。もう、これでいい。
(次回=明日をもって、この研究的総括を終えることになります。)