朝は軽い体操から セガン1843年論文翻訳作業

○昨日の無杖徒歩はわずか1時間であったにもかかわらず疲労感が強く、一日何もすることができなかったので、今日は軽い体操を心掛けた。トータル30分ほど。
○屋外で:ゴルフアイアンの軽いスイング100回。両膝屈伸50回(洗濯干しにつかまって)。左脚側面上げ下ろし30回(洗濯干しにつかまって。左脚がまっすぐに伸びない)。アイアンを使っていわゆる棒体操5分程度。表階段の昇降、右手で手すりをしっかり握って(降りるのは前向きで左脚から。昇るのは後ろ向きで左脚から)。屋内で:かかとから着地を意識した歩行(ギッタンバッタンが少なくなる)
○各種運動をしていて、左足首がぐらつく。そのあたりの筋肉の力がまだ付いていないのだろう。
○le jet et l'appréhensionとあるのを、中野訳では「投げることと握ること」としている。他の箇所で使われているl'appréhensionも「握る」との訳語があてられている。しかし、仏和中辞典でも大辞典でもl'appréhensionには「投げる」に対応する「握る」は意味として載っていない。中野氏は意訳をしたのだろうか?いいや、そう思わせながら、じつはとんでもない誤訳をしでかしている。l'appréhensionは、ものごとを「理解する」という意味なのだが、かろうじて「把握する」という意味も載せられている。しかし、それって…!お前さん、日本語理解能力無いのかえ?と思わず叫んでしまうような訳語だなあ。ここは「投げることおよびその意味理解」というような意義だろうに。
セガン1843年論文翻訳 第4章第5節視覚 承前
方法―ここで問題とすることは、もう、聴覚のような受動的な感覚ではない。器官そのものが出し入れする音を問題とするのではなく、習慣によって不活性化してしまっているのだが、使途如何となる能動的な器官を問題とする。つまり、器官を、眠ってしまっている何らかの軌道から引きはがし、行き着くところは、とりわけ感覚領域の音声活動を広げなければならないのだ。ところで、この器官をある対象に、続いてある対象から別の対象へと向けさせるために、どのような手段があるのだろうか。働きかける方法は?ものを味わわせるためには、まさに力ずくで、口の中にそれを入れればよい。香りを嗅がせるには、鼻の穴にそのものを入れればよい。触覚や理解力(appréhension)を訓練するためには、手を様々なものに触れさせる。しかし、これつまり視覚は、そういったことをすることはできない。目は繊細な器官であり、まぶたで覆われ、まつ毛が危険を察知する。従って、どのような方向にあっても、ものは目に接しないようになっている。
 以下はこの感覚の教育のために私が使用した手段のいくつかである。
第一の運動―子どもを暗闇の部屋に入れる。その部屋の中央で一点が明るく映し出される。そこには、まずはじめに、子どもが喜ぶようなものが、続いて、彼が見ることで得なければならない観念に関係する他のものがくっきりと姿を現す。この光は、暗闇の中で、右から左へ、下から上へと動かされ、そのことによって目線が固定された状態から光を追っていくように、動かされなければならない。
第2の運動―投擲とその理解の指導のための体操の章ですでに述べておいたバランス棒を用いる。すばやく投げすばやく受けることで、絶えず、そして意識的な動きで見ることを余儀なくさせる。実際、このバランス棒が、間断なく、一方から他方へと投げ渡されることによって、投げ始めと到着とを見なければならず、動きとそんな風に動く物体とを同時に見なければならないのだ。
第3の運動。自分の前の白痴を注意深く見守り、関心を引き出そうとする熱心かつ粘り強い目線で、白痴のとらえどころのない目線を追うことにある。知的で生き生きした目が、不活発な目、休止した目、不動の目につきまとうのである。
それ自身の機能を知らない目は、随意に見ようとすることを知らない。しかるに、上に述べたばかりの運動によって、すなわち、1.暗い部屋で見えるようにされたただ一つのものごとの知覚、2.バランス棒による衝撃の急迫、3.他者の目線の粘り強い引力によって、あらゆるものをかすめるだけのこのうつろな目線が引きつけられ、指導されるようになるだろう。身体全体の力で為しえてこなかったことを、目線の支配によって獲得するようになるだろう。子どもが、乳母の子守歌の中で、可愛らしい片言を出すようになるのと同じように、けっして見つめようとはしなかった哀れな者が、愚かでほんの瞬間しか働かない目を働かせ、落ち着かず具合の悪そうな目線を送ることで、「見るように見えることを」し始める目の基本的な目線へと仕上げるのだ。 
○今から50余年前、高校2年生の時、何を血迷ったか、東京の正則予備校の夏期講習を受けた。当然下宿生活となる。(こんなまじめな一時もあったんですね。その後のぼくをよくご存じの方々は信じられないでしょうね)
 ある日、1枚の葉書を下宿先のおばさんから手渡された。高校の担任・松葉順一先生からの「暑中見舞い」だった。もっと正確に言えば「陣中見舞い」だろう。
 「暑い夏に、しかも人混みでさらに暑くなっている東京に受験勉強のために出かけているという貴君のその熱意が大きな実となって熟することを願っています。
 小生の消夏法。首にタオルを巻き、熱いお茶をすすって、汗をいっぱいかくこと。せいぜい団扇であおるぐらいで、扇風機は使いません。要点は水分をたくさん、しかもしばしば、摂取すること。
 秋学期に元気で成長した貴君と会えるのを楽しみにしています。」
 松葉先生のお教えは今も守り続けている。
○今日のお昼は、熱いうどん。汗をかき、タオルで汗拭いしながら、いたただきました。
 三重産の手延べうどん(乾麺)
 乾燥ワカメ、乾燥あさり、卵焼き、キュウリ、はんぺん
 薄い塩味
 (ダシは上記のワカメとアサリで)