曇りがちのお天気。南の消防署資材置き場の屋根の上に薄日が…。

○ビニールゴミ出し。起き抜けだったので足元のふらつきが心配だったが、玄関を出れば快調。
○左脚の階段訓練。左脚を一段上に乗せた後右脚を揃える。そして左脚を下ろす。この時つま先から降ろすことを意識する。そして右脚を揃える。これを1回と数え、今日はワンクルー80回。午前中×2。午後×2。その他、椅子に腰かけ、左脚を上げる。つま先上げを意識する行動と腿上げを意識する行動と。それぞれ10回。こうして、脚の筋力がついてくれることを祈る。その他リハビリ行動。
○翻訳書出版予定社にあてて以下。
TT様
 秋のさわやかな天気が続いております。TT様はじめ社の皆様にはお変わりございませんか。私は不思議なことに風邪一つ引かず、毎日をリハビリと翻訳その他で過ごしております。
 今日は中間報告を兼ねて、翻訳書の内容構成についての相談をさせていただきます。
 翻訳作業は順調以上のペースで進んでおります。が、これからがセガン教育論の評価の本質に迫る内容でありますので、慎重であるよう心がけております。おおよそ、全体の、8割がた訳し終えました。
 さて、翻訳書の構成について考えていることです。毎回多少異なることを申し上げているように思いますが、最新の情報が最新の考えであるとお考え下さい。
☆翻訳書タイトル〔案〕 草稿・知的障害教育論 
            <副題 白痴の衛生と教育(1843年論文)>
 若干の解題です。1843年論文(白痴の衛生と教育)はその年、ほんの少し手を入れて(スペルミスの修正程度)、同題名で単行本で出版しています(1843年著書)。現在翻訳を行っている文献は1843年論文です。私が厳しい批判をしている中野善達氏による翻訳は1843年著書です。これで、翻訳対象としての重複は、形式上、無いことになります。
 セガンには、彼を代表する著作があります。題名が長ったらしいので「1846年著書」としておきます。これの抄訳はずいぶん前に出されています〔明治図書より、松矢勝宏訳:やはり誤認と誤訳が多いのですが〕。内容的には、1843年論文を骨子とし、医学情報を多く追加記述しているものです。
 こういうことから、私は、セガンの白痴教育論は1843年論文に本質を見ることができると判断し、今回、翻訳を試みている次第です。世に知られているセガンの白痴教育論の草稿という認識です。
 現在日本の書籍タイトルに「白痴」の文字を使うことは避けるべきだとかつて忠告をいただいたことがあり〔2010年に出版した私のセガン研究にかかわって〕、現在の通用概念である「知的障害」とすることにします。本文では19世紀概念として断り書きを入れて、「白痴」を使用します。
 以上のことから、「草稿・知的障害教育論」と主題を定めたいと思います。いかがでしょうか。
☆1846年著書の入手はさほど困難ではありませんが、1843年論文の入手は相当意識と熱意を持たなければ不可能です。それで、100ページに及んでしまうので全文収録は経費上困難かと思いますが、参考提示ということで、何ページかを写真収録したいと思っています。ご意見を賜ればありがたく思います。例示的に論文写真(論文の頭)を添付しました。(加工する必要があります)
☆構成について
 *訳者まえがき
 *本文 (著者による注記も含む)
 *訳者註(脚注ではなく、本文後に一括掲載)
 *引用された人物一覧とそれぞれの人物紹介
 *訳者あとがき
 *その他
組版について
 私は縦組みになじんできているのでそうしたいところですが、数字、フランス文字等横書きが望まれる個所が多くあるので、横組みが望ましいかと。
 以上です。よろしくお願いいたします。
○FBに連載?とりあえず第1回

総括するなんて大ぶろしきを広げてはみたが、記憶部位より感情部位から言葉が零れ落ちてくる。その最大の言葉は「懺悔(ざんげ)」だ。その第1回。
 望んでいた学問分野でもなくとにかく滑り込んだところが「教育学」畑。大嫌いな学校教師の養成をもっぱらとするのではなく、「教育学」という学問分野を教育し研究するところ。
 これは大当たりでした。いや、怠けるのに、ということで。ホラだけは大きく「オレは教育学研究者になる!」、その実態は、教室という閉ざされた空間で、権威ある教師からいかめしく伝達される情報を鵜呑みにする、という「学びのスタイル」を喜んで放棄し、昼に夜に、都会の喧騒の中に姿をくらましてばかりいた。
 それでも、授業課題は、自学自習でこなし、他人のノートを写すこともなく、カンニングペーパーを持ち込むこともなく、心配なのは出席点だけという状況で、単位取得に努めた。その結果は落第に次ぐ落第。
 たとえば、語学は出席点と教室での発表点と期末試験の合計で換算された。だから一回の学期で合格点などとれっこない。「お前、それでよく大学に入れたな。」と語学担当教授に、教室で、面罵された次第。
 それ以外は、結構優秀な点をいただいていました。とくに教育学系学問は、最も排斥された教授から「良」をいただいたほかは、オール優。その排斥された教授の学問分野で、ぼくの研究者人生の終期を迎えるとは、皮肉なことではあります。
 ということで、何の問題意識もなく学問分野を選び〔今日でいえば、楽して入れればなんだっていい、ということ)、何故に「教育学研究者になるんだ」と大ぼらをこいたかと言えば、他人様、社会の役に立ちたいなどという殊勝な心などまるでなく、そういえばオレはみんなと違うんだぜ、という虚栄心からであったから、笑止千万でありますな。 (とりあえず、基礎固め)
*(連載?の前提投書)
 一応、研究者として生きてきた、という自覚があるものですから、「終活」の一つに、「研究者としての実質の総括」が入っています。尊敬する同年配の某氏もなさっておられるようですね、FBでの情報です。
 で、ぼくの場合、「こんなことに手をつけた」は書けるのですが、「こんな成果を生みだした。」はとても総括できません。いろいろ言い訳がましいことばかりが思いついてしまい、「終活」にことばとして加えると、「思い出したくもない」というのが本当のところ。
 結局、「実質なきものは総括にあらず、懺悔のみ」の心境の今朝。
 でもでも・・・。
 60歳頃から手がけたパリ・コミューン研究とセガン研究は「総括」が書けると確信しているし、人生がまだまだあるのなら、「展望」も書きたいところの、追加心境。...
☆西村 敏雄 先生、ぜひ総括をお願いします。